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書評:シェイクスピア『マクベス』

シェイクスピアから考える自己のディオニュソス的肯定論

『マクベス』はシェイクスピア四大悲劇の1つとされる作品である。

私にとって、初めて読んだシェイクスピアがこの作品であった。普段は冗長で長編の作品が好きなため、なかなかシェイクスピアの作品に手が出ない時期が続き、手に取ったのは20代の後半くらいのことだっただろうか。

シェイクスピアについての批評等にも詳しくないため、作品の手法や芸術的側面については触れられないがが、専ら私が抱いた内容的、警句的な側面についての感想を書きてみたいと思う。

この作品では権力的志向の醜悪な側面がマクベスの顛末に体現されている。これを端的に「権力の魔性」と表現した人もいる通り、その恐ろしさは正にこの一言に凝縮されるのではないだろうか。

読み終えた時、マクベスが権力の魔性の虜となって行った転機はどこにあったのだろうかと考えました。言い換えれば、彼はどこで踏み止まれば作品のような悲劇的結末を体験せずにすんだのでしょうか。

直接的な契機は三人の魔女との遭遇にあるように描かれています。三人の魔女に唆されたというように。

しかし作中のマクベスは魔女達に偶然に狂わされたようには決して描かれていないように思えた。

むしろマクベス自身が元来保持した醜悪な側面が単に魔女との出会いを契機に噴出したと見る方が穿っているのではないだろうかと思えるのである。

私は常々思うことがあります。それは、自己肯定ばかりではなく、自身の中にある醜悪な側面の存在をも認め、それと向き合い、内的対話を積み重ねていくことで、自身の中でそうした負の面を認容する努力を続けることが、自身の醜悪に飲み込まれずにそれを手なづけるための肝要なのではないか、という考えである。

人は素直に自分と向き合った時、必ずしも簡単に肯定できる要素ばかりで自分が成り立っているわけではないことに気付くはずだ。自己肯定しようにも、存在自体を認めたくないような、弱さ、恥ずかしさ、倫理観、悪徳を備えていて当然なのだ。

半端な自己肯定、自分で受け入れやすい「いい人」の面だけ肯定し、自身の悪性に蓋をするような自己肯定はでは、極限的な状況に置かれた際、封印から解き放たれたような悪性に立ち往生するままに、自らを律する術を失うのではないかと思えてならない。

描かれてはいなため想像の域を出ませんが、日常のマクベスにはそうした自己認知がなく、自らの奥底に沈む権利志向をしかとは認識できていなかったのではないかと思う。そのため、魔女達との出会いという、自身の運命を操ることができるようになるかのような極限的な機会に接した時、彼は自身から噴出した醜悪性を認知できす、抗う術を持たなかったのではなかろうか、と思えてならない。


さて、ここからは四方山話。

この作品の感想発表には実はトラウマがある。以前やっていたYahoo!ブログ(2019年12月サービス終了)を始めた頃に投稿した記事が上記の内容で、そして調子に乗って同様の内容をAmazonカスタマーレビューにも投稿したことがあった。

当時のAmazonカスタマレビューには「役に立った」ボタンだけではなく、「役に立たなかった」ボタンもあり、前者が2件しかいただけなかったのに対し、後者を北斗百烈拳バリに30件くらい食らってしまいまして、「ひでぶ」「あべし」と奇声をあげながら全身が爆発してしまったのだ!
今でもケンシロウの声優神谷明さんの「あーたたたたた!」が耳朶にこびり付いているのである。

※現在のAmazonカスタマーレビューからは「役に立たなかった」ボタンはなくなっており、まるで2人に評価いただけたかのような(いただいているんですけども)KING王の『マクベス』レビューの残骸(肉片)が残っている。

※そういうわけで、上記に書いた感想は、私が書評なる文筆を始めた頃の青いもので、現実に評価が低かった実績も兼ね備えたものなので、お手柔らかにご覧いただけますと幸いである。

読了難易度:★☆☆☆☆.
悲劇っちゃ悲劇度:★★★☆☆.
自分のせいだろ度:★★★★☆.
トータルオススメ度:★★★★☆.

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