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書評:中村雄二郎『悪の哲学ノート』

悪の定式化を巡り哲学者が考察した道筋の記録

今回ご紹介するのは、中村雄二郎『悪の哲学ノート』という著作。
中村雄二郎は、その著作『術語集』で有名な日本の哲学者の泰斗である。

まずは概要から。

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著者は、哲学、殊に西欧哲学において、「悪」という概念は伝統的に「善の欠如」であったり「善の否定形(善で無い状態)」という形で規定されてきた、と指摘する。

これを受け、「悪」という概念を定式的に(他の概念に依存しない、独立した概念として)定義可能か、というテーマを巡り、著者がエッセイ調に思索を展開する、というのが本著の趣旨となっている。

そして、特に本著の後半半分は、前半で試みた定式化を活用し、ドストエフスキーの著作を読み解くという内容で構成されている。
(私が本著に出会ったのも、ドストエフスキーの書評を手当たり次第に読み漁っていた頃のことだった)
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語りたい結論が著者の中で既に定まっているという位置がありそこに向かってファクトを積み上げていく、というような通常の評論とは違い、著者の試行錯誤をそのまま記述に表しているという点が特徴的で、著者と共に思索を重ねていくような楽しさがある。

ただその反面、著者の教養の広さ故に話があちこちに飛んでいくような印象(いや、天衣無縫、縦横無尽、など、自由で凄い!という印象)もあり、知らないことがいっぱい出てくるわけで、頭の整理が追い付かないという感想も持ったことを記憶している。

で、肝心の「悪の定式化」を巡る著者の考察についてなのだが・・・、あまり覚えていない(←え!?)。

それでも本著をご紹介したいと思ったのは、一つにはマイナー読書アピール(←うんうん、そうだろうね)、そしてもう一つには真面目に、私の読書史において本著は外せない存在であるからだ。

私にとって何故この著作が思い出深いかと言うと、それは前述の通り著者の教養の広さに刺激を受けまくって、私自身の興味の幅、読書の幅が格段に広がった、そのきっかけとなった著作だったからなのだ。

(↓若い頃の話なので今となっては知らなかったのかというのも含まれているが)

・ビアスの『悪魔の辞典』を本著で知った
・『チャタレイ夫人の恋人』の作者D・H・ローレンスの、『アポカリプス論』(『黙示録論』)を本著で知った
・「グノーシス主義」を本著で知り、それに端を発し宗教社会学に興味が広がった
・パスカルの「プロヴァンシアル論争」を本著で知り、ジャンセニズムやロシュフコーに興味が広がった
・クリステヴァの思想への興味から端を発し、当時(一部で)流行していた『現代思想の冒険者たち』シリーズを読み漁った
・何より、ドストエフスキーの作品を周辺的人物から読み解くという手法を、バフチンの著作以前に本著から学んだ

学生時代、幸か不幸か、本著を軸に随分と興味があちこちに行き来したものだ。時間も随分費やしたように思う。それがよかったのかどうかは今でもわからない。それでも本当に読書を楽しむことができた。そして、読書を楽しみ続ける人生の基盤が本著との出会いをきっかけに築かれたように思っている。

本著は、私の人生の名著十傑の一つとなっている。

読了難易度:★★★☆☆(←哲学系なのでやはり少々難解)
マニアック度:★★★★☆(←本著そのものもだし内容も)
中二感充足度:★★★☆☆(←タイトルに「悪」とか入っちゃってると結構ソソられる)
トータルオススメ度:★★☆☆☆(←え?十傑なのに?)

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