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楽しむためには技術が必要である。

今日お話したいことはタイトル通り「楽しむためには技術が必要である」というお話です。

皆さんの周りには、何をしていても楽しそうな人がいたりしませんか。僕の周りにはいました。今回お話したいのはそういう人たちは楽しむ技術を持っているというお話です。

ちなみに僕は残念ながら、これまでは何をしていても楽しめるタイプではありませんでした。ただ、楽しむためにどうすればいいのか考える中、どんなことも楽しめるようになってきましたので、その技術をまとめておきたいと思います。

そもそも大前提ですが、人が楽しいと感じる瞬間というのは大きく二つに分かれるのではないかと考えています。(僕の持論です。)一つは達成欲求、もう一つは自己表現の欲求です。

一つ目の達成欲求はゲームなどがわかりやすいかなと思います。ゲームは小学生から大人までみんな誰に強制されるわけでもなくて行っていますよね。あれはなんで行っているか考えていくと、何かのゴールや目標に向かって努力を重ねて、達成していくことが楽しいのだと思います。

二つ目の自己表現の欲求はスポーツや文章を書く、ダンスをする、歌うなどがわかりやすいかなと思います。これらも人が誰に強制されることなく行っているものになりますよね。これは自分を何かしらの方法をもちいて表現することが楽しいのだと思います。

この仮説から考えると、基本的に世の中は達成することにあふれていて、楽しめると思うんです。仕事や勉強は達成するべきゴールがあって、それを達成していく活動だからです。でも僕は全然楽しめませんでした(笑)

じゃあ何で僕は楽しくなかったと思いますか?

それは単純で目指すべきゴールに向けて、考えて行動することを行っていなかったからです。具体的には、新人を1か月後に現場に出しても成果を出せるような研修を作ってくれとミッションをいただいても、僕の場合はそのミッションを意識して仕事が出来なかったんです。ミッションではなく、いつも「僕はできるだろうか」、「期日までに間に合うのか」、「できなかったら周りからどう思われるだろう」そんなことばかりを考えていました。そんなことばかり考えていたら全然楽しむことが出来ませんでした。

でもこういう風に考えてしまうのは、仕方ないことだなと思います。これまでの成功体験が少なければ、失敗してしまう可能性を強く考えてしまうし、これまで周りに不親切な人が多い環境で生きてきた人なら失敗することのリスクを感じやすくて当たり前だからです。

ただ、そのあなたの認知の特性があなたが楽しくなる邪魔をしています。

僕はそのことに気づいてから行ったことは、認知がゆがみやすい自分でも、ゲームのように達成に没頭できる環境を整えていくことでした。なんでゲームの中ではゴールを達成できない可能性を考えないのか?目的の達成だけに意識を割くことが出来るのかを考えました。

分かったことは二つ。①ゲームの中では何をすれば目的を達成に近づいていくのかが明確にわかること②目的達成に近づいている事をゲームの中ではフィードバックしてもらい感じれることです。

ポケモンを例にすると、ゴールとして四天王を倒すことがあったときに、①草むらで野生のポケモンを倒しているとレベルが上がり、四天王を倒すことに近づくことが明らかにされている事②実際に草むらでポケモンを倒していると定期的にレベルアップしていることが通知されるということになります。

これに気づいてから、僕は自分の仕事について①ゴールを明確にすること、②ゴールを実現するためにやるべきことを明確にすること③定期的にゴールに近づいている事を振り返り進んでいる実感を生むことを行っています。

これら3つを行うことで、僕は今までの、自分の不安や怒りなどの感情ではなくて、達成したいゴールだけを意識して頑張ることが出来ており、ゴール達成に向けた過程自体を楽しむことが出来ています。

皆さんも楽しむ技術を身に着けて自分の人生をより良いものにしていけるといいですね。


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