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自分の行動に慄く

自分の自己肯定感の低さに慄いた、と言うのがぴったりな気がする。
まさか、自分がこう思っていたとは思わなくて、とにかく自分の口から出た言葉に、自分が一番驚いた。自分の行動にも。
何があったのか初めから辿ろうと思う。その日、幼稚園の始業式が終わって、なんせ始業式から同行する幼稚園なので1日娘と行動を共にする覚悟をして、終了後はランチ、そのまま電車に乗ってちょっとお出かけ、お買い物。ここまでは順調だった。やれやれと帰宅後は始業式の終わった小5息子と合流して、夕方の習い事までの間に二人のこどもを連れてカフェでも行こうか、と、のんびり過ごすつもりだったのに・・。あんなに何度も夏休み中に忘れていることはないか確認していたはずなのに、帰ってきた息子がリビングで何かを探している。聞くと小5息子が工作の宿題を忘れていたのだ。思い返すと、終業式の日に家に厚紙が転がっているのを発見して誰の?とと子どもたちそれぞれに確認していたのに、長男も「俺のじゃない」とフツ〜に捨ててたのが、例の宿題だった、と。普通なら忘れ物を取りに学校に戻るとかありえないのだけれど、こんな立派な厚紙を家に常備しているわけないし、買いに行くくらいなら小学校にもらいに行った方が早いと、渋る息子を始業式当日早々再度学校に行かせ(なんて言ってもらったらいいかわからない!と渋るから、そのまま言え!正直に言え!と無理に行かせる)、行ったと思ったら、やれ校門が開いてないだのなんて言って入ったらいいのかわからないだのLINEで言ってくるのをこれまたあれこれ言って中に入らせ(結局開いていた)、息子帰宅後はその宿題をやらせ、とても優雅にカフェタイムどころじゃなかったわけだ。長男の気が散るといけないからと、テレビを見たがる娘にもワークの勉強をさせたり、片付けたり夕ご飯の支度をしたりで、結局余裕なく夕方の習い事に向かい、そのまま習い事の見学タイム。見学後コーチに挨拶をして娘の身支度を整えて、仕事帰りの満員電車に乗って(満員といえど、都内に比べたらそこまででもない)帰宅、と電車に空席が2つ空いたのだけれど、娘に座らせてわたしは立っているつもりでいたら、スーツ姿のお兄さんが「どうぞ」と言ってくださった。なんて爽やか。なのに、わたしは「いえいえ、仕事でお疲れでしょうから、わたし仕事していないんで」とお兄さんに座るように言ってしまった。

ちょっと待て、である。自分にちょっと待て。
子育てしているじゃないか。家事しているじゃないか。合間縫ってPTAの仕事もしたじゃないの。これが仕事じゃなくて、なんだという。確かに誰からも金銭は受け取ってはいない。しかも相手はジー様じゃなくて、お兄さんだぞ、どう見てもわたしより若かったぞ。なんで、ここで「わたし仕事してないんで」って言葉が出てきたんだ。と、自分にショックを受けた。
それを悶々としながら何度も反復していたからだろう、久しぶりにブラック企業に勤めていた頃の上司を思い出した。わたしが『できない』と決めつけて報連相をしてくれなかった挙句、ミスが出れば全部わたしに押し付けてきた上司。この上司がどうも旦那に被る。
それから。わたしが回りくどいことに今更ながら気がついた。誰も傷つけたくない。自分を守りたい。いい人だと思われたい。かわいそうだね、と思われたいのか?大変だね、と同情してもらいたいのか?いってもどうしようもないことも口滑らせてしまっている。それがここのところ前面に出ている。だからこそ、シンプルなことを複雑化させている。考えるなら手を動かせ、のわたしはどこにいった?暇なんだ、考える時間がありすぎるのだ。こう言う時こそ手を動かして経験値を上げるに限る。悩むことは文字にする。タスクを作って、したいことをやるべきことを可視化する。どんな自分になりたいのか、ぼんやりとしている部分も可視化する。この際、どんな家族になりたいのか出してみるのもいいだろうし、理想的なイメージを探してみるのもいい。それも文字化する。それから、収入。無収入は不安要素だ。いっぱいいっぱいになるとまた倒れてしまうから、ライフワークとライスワークを書き出してみよう。就職サイトを見てみるのもいいかも。とにかく具体化。て、もう娘のお迎えの時間だ・・。

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