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アイラブユーが世界を救う(かもしれない)

バカリズムさん脚本、日テレで放送された話題作『ブラッシュアップライフ』を約1年、


私は見事にこすり続けた。

勿論、これは『ブラッシュアップライフ』という作品が1年間ずっと自分の生活のそばにいてくれて、私は作品をずっと楽しみ、おもしろがり続けたということ。


この1年、あまりに世界中で不条理なことが起こりすぎていた。
むしろそれら全てはどれをとっても片づいてもおらず、終わっていないし終わる気配もない。

このままどんどん状況が悪化し続けることだってあり得るし、本当に世界が終わる気配は近づいてきているのかもしれない。

そんな不穏なことばかりの年末、『ブラッシュアップライフ』はNetflix・TVerなどで解放され、再び私たちの近くに帰ってきてくれた。

約1年しっかりこすりつづけた大好きな作品を、今年の締めくくりとして観ない手はない。


1話ずつ丁寧に味わい、おもしろがり、涙を流して笑いながら視聴し、

染谷将太さん演じる福ちゃんの代表曲として、劇中で登場する「アイラブユーが世界を救う」が流れた。

みーぽん(木南晴夏さん)が「なにこれダッサ」と、なっち(夏帆さん)とすぐにCDを止めるよう要求するほどにドン引きなうえ、
主人公、あーちん(安藤サクラさん)の5周目の世界線では福ちゃんのラストライブで歌うことも許されず、
ついぞ本編で、あの染谷さん渾身の絶妙に微妙な歌唱力で存分に歌われることもなかった「アイラブユーが世界を救う」。

絶妙に微妙な歌い出しからAメロを経て、ほんの一瞬聴こえたサビに、何故か涙が溢れてしまった。

ダサいのに。
下手なのに。

すごく、ダサいのに。


「アイラブユーが世界を救う 救う」

福ちゃんのことだ、なんとなくカッコつけたことを、音楽業界変えてやるくらいの勢いで歌詞にして辿り着いた結果なのだろう。

「こんな感じのこと歌っときゃとりあえずかっこいいんでは?」
くらいの思いつきだったかもしれない。

なんならもはや24時間テレビの「愛は地球を救う」から丸パクリしてんじゃね、という疑念すらある。(むしろ最濃厚)


そういう福ちゃんの想定キャラにあてて書いたはずの、絶対的なダサさを誇って書かれたであろう曲が、私の心を震わせたのだ。

絶対、疲れてもいるんだと思う。
あまりにもこの世の中というもの、波乱がそこかしこに溢れすぎている。

でも、現実ではそんな息の詰まるような毎日が広がる一方で、

北熊谷で茶色い服を着た仲良し四人組の女の子たちが、
その四人組の世界を守るためだけに、アイラブユーだけで世界を(ちょっと)救ってみせたのだ。

創作物・フィクション・文化と呼ばれるものが世界で起こり続ける困難に対して何が出来るかという問いに、

ブラッシュアップライフという物語の中に暮らす、北熊谷で茶色い服を着た四人組の女の子たちは、いとも簡単に答えてくれたのだった。

福ちゃんの想定した歌詞中の「世界」ではないのかもしれないけれど
4人は、4人とその周りの人たちで小さく、でも賑やかに進んでいく世界を確かに救ったのだ。

私たちは世界を救えない。
それでも、私たちそれぞれの「世界」を守るためになら、戦えるかもしれない。

そしてその鍵を握っているのは、きっと福ちゃんの言うとおり「アイラブユー」なのだろう。

みんな知っているはずの、それでも改めて言ってしまうと恥ずかしいし何だか嘘っぽくなってしまうことを

福ちゃんはあんなに高らかに、
あんなに普通(よりちょっと低いかもしれない)歌唱力で、
誰も聴いてくれなくても、
離婚されちゃうくらいの年月分、歌い続けた

それはもしかすると、あーちんやまりりん(水川あさみさん)たちが「アイラブユー」の気配を感じさせない代わりを背負っていたのかもしれない

みんな知っていることなのに、知らないふりしていること
だから世界が何も変わっていかないこと

そろそろ私たちは知らないふりをやめて、ダサい真実を受け入れたほうがいいのかもしれない。

そしてその真実を、真に分かっていなかったとしても、
デカい声で伸びやかに、高らかに歌っていった方が世界はずっと良くなるのかもしれない。



『エブリタイム・エブリウェア・オールアットワンス』に関して、映画の内容について「世界を巻き込んだ親子喧嘩」という口コミや評論などが多くみられた。

子どもとなんだかギクシャクしてしまってうまくいかない、その結果世界が壊れてしまうほどの親子喧嘩に発展したフィクション世界の中で、やっぱり子どもとの世界、そしてついでに実際の世界を救ったのは「アイラブユー」だった。

「何が無くても、「アイラブユー」だけでよかった。」

あの映画の根っこも、結局そこだったように思う。

フィクションにありがちだなぁと思われるかもしれない。実際、辟易するくらいに結局文化作品のオチはそこだったりする。

どんなに優れた技巧や仕掛けがなされた作品であっても、「根幹はそこかいっ」「ダサっ」「薄っ」となりやすい。

フィクションに親しむ習慣がない人や、フィクションを受容したところで...と考える人の中にはこのパターンがかなり多く見受けられるのではないだろうか。

しかし、なぜフィクションがこんなに「愛」についてクドいかというと、

それは実際に、誰かが言い続けなければならない真実だからだ。


世界を救うにはまず「アイラブユー」から始めるしかない。

だって、
「アイラブユー」が世界を救うのだから。

きっと(そこまで)何も考えていない福ちゃんの代表曲が、何の気なしに世界の真実に辿り着いていることに意味がある。

私の涙はきっと、軽やかに世界が救われたことへの喜びと、少しの羨ましさが混じったものだったと思う。

諦めてはいけないのだ。
少なくとも、自分の愛する生活を守るためには。

世界は簡単には救えない。
それでも、守りたいと思う自分の世界を守るところから、戦っていかなければならない。

世界中のどんな戦いにも、武器も暴力も必要ない。
ただ、間延びした声の「アイラブユー」があれば、世界は救えるかもしれない。

私たちはそろそろ、そのダサい現実に向き合うべきなんじゃないだろうか。


あ〜いら〜ぶゆ〜〜が世界をす〜く〜う〜


この北熊谷の物語からそんなことを感じてみたりもした。



けれどもただ、何よりも本当に、
とびきり楽しく、とびきり愛おしい北熊谷の人たちに出会えたことが、

一緒に過ごした1年が、
私は何よりも嬉しかった。

ただただそれだけで十分。
にこにこしながら涙を溢して愛おしむことの出来る小さな世界に出会えたことが、
私の2023年、最も大切な幸せだったのかもしれない。

ありがとうブラッシュアップライフ、
ありがとう北熊谷のみんな。


(ヘッダー画像引用元:
https://plus.tver.jp/news/ntvtopics_151715/detail/)

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