”教養(Liberal Arts)”の授業用、「十字軍」に関するノート(1)
はじめに
現代世界を理解するには、キリスト教世界とイスラム教世界の関わりを知っておくことが必要です。この連作ノートでは、「十字軍」について概観します。主に参考にしたのは、COTEN RADIO (40、1-12)と『十字軍物語1~3』、『絵で見る十字軍物語』塩野七生著 (新潮社)ですが、記述についてはすべて私の責任です。
十字軍とは何か (「十字軍」という言葉の持つイメージ)
11世紀の後半から約200年に渡り、現代の西ヨーロッパから中東に向けて何度も遠征を行った様々な人々を総称して「十字軍」と呼ぶ。「十字軍」という言葉の持つイメージは、宗教戦争(キリスト教vsイスラム教)におけるキリスト教側の軍隊である。2001年の同時多発テロ事件の直後に、米大統領G.Bushが、不注意に "This crusade, this war on terrorism is going to take a while." 「この十字軍(テロとの戦争)はしばらく時間がかかるだろう」と語り、批判を招いたように、十字軍のイメージは決して肯定的なものでは無いようだ。
2. キリスト教の進展 (イエスキリストの死~東西教会の分裂)
十字軍を理解するために、まずキリスト教がどのように広まっていたかを見てみる。
・ユダヤ教会の腐敗を糾弾したイエス・キリストが殺されたのがAD30ごろ。
・パウロなどを中心とする弟子たちがローマ帝国内で熱心に布教をするが、多神教のローマ帝国に迫害される。
・徐々に国力の弱まったローマ帝国は、人々に浸透していたキリスト教を国教化する(392)
・広大な帝国の統一を維持できずに、東に集中する形で東西分裂してしまう(395)
・西ローマ帝国が北から大移動してきたゲルマン人に滅ぼされる。(476)
・世俗権力の後ろ盾を失ったローマカトリック教会は、新しい支配者フランク王国と強く結びつこうと、カール大帝をローマ皇帝にする。(800)
・フランク王国が3つに分裂するとローマカトリック教会は、そのうちの一つ東フランク王国のオットー一世にローマ皇帝の称号を贈り、スポンサーになってもらう。(962)この後、東フランク王国は「神聖ローマ帝国」を名乗る。
・西ローマ世界は、教会と皇帝が初めはお互いを利用しあう WIN-WINの関係であったが、そのうちに権力闘争をはじめ、最初は優勢であった教会サイドであったが、皇帝サイドに押し戻され、劣勢状態の時に、東ローマ帝国(別名ビザンツ帝国)から支援要請の報が届く(1095)のである。
当時ビザンツ帝国は、広大な領土のほとんどをイスラム帝国に切り取られ、首都コンスタンチノープルの目の前まで迫られており、今まで反目していた経緯はともかく、同じキリスト教国であるローマカトリック教会に支援を要請するしかなかったのである。
第1回まとめ
11世紀後半、西ヨーロッパでは、約1000年ほどかけて、キリスト教が民衆に浸透してきていた。教会は、西ローマ帝国滅亡後、ゲルマン民族の国王を戴冠し、協力関係を結ぶが、この時期権力闘争に明け暮れていた。一方東ローマ帝国は、イスラム帝国の侵略に苦しみ、反目していたローマカトリック教会に支援を求めるのだった。
”教養(Liberal Arts)”の授業用、「十字軍」に関するノート(2)
では、なぜ多くの人々が十字軍に参加したのか、「貧民十字軍」等を述べます。
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