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無修正の自分を見せられる相手

真実の愛を手にすること——

それはこの世界において最も難しいことであり、また最も幸せなことだと思う。

だが、「無修正の自分を見せられる相手」を得ることはそれと同じぐらい、あるいは更に奇蹟的なことであり、また幸せなことではないだろうか。

「うそ偽りなく話す」と言うのは簡単だが、飾らないだけでも難しいというのに、自分の内に抱えるカルマ業業たる一切を包み隠さずに口にするということは自滅行為に等しく、自分だけならまだしも他の人を傷つけ殺してしまう危険さえある。

よって、【嘘も方便】という言葉がある。
戦争が始まる本音よりも、平和を保てるタテマエを。
そのような判断は妥協の産物ではあるが、同時に賢明な判断でもある。
しかし、常に本音を誰にも打ち明けずに生きるということは苦しい。

孤独はもちろんながら、単純に「王様の耳はロバの耳!」と言えないまま生きていくのは苦しいということだ。

飾らない自分までならまだしも、無修正の自分を見せられる相手はなによりも得難い。

しみじみそう思う。

*マンガや映画でありがちな表現方法で、いわゆる成功者や権力者の類がSMの女王様によって三角木馬などに拘束されて鞭うたれ「わたくしめは卑しいオス豚ですぅ~っ!」などと言いながら大小便を垂れ流し、それでいて随喜の涙を流すというものがある。確かにわかりやすいことはわかりやすい図だが、それも私の言う「無修正の自分」には程遠い。その意味でいえば、同じくマンガながら、柳沢きみお氏の描くカルマ業業たるおぞましい欲望に満ちた怪物的人物たちの姿に「これだよ、これ」という感覚を抱く。


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