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短編小説 - 聞こえますか?

 聞こえますか?
 あなたには聴こえるはずです。
 あなたが、赤ん坊になる前、胎児として子宮に宿る前、精子として父から、卵子として母から、生み出される前。
 あなたはなんだったのでしょうか。
 わたしにはわかりそうもありません。
 けれども、この謎について、わたしが、小さいながらも思いを馳せることで、丹田のあたりから、ジワリと力が湧いてくることもまた確かであって、それは、どうにも抗いようのない、原理、のように感じられるのです。
 あなたにとって、それは、あまりに自明な、当然なことなのかもしれませんが、やはり、一介の人間なるわたしには、不可思議そのもの、あらゆる景色、まどろみ、狂気の、底に漂う、姿なき、混沌と考えるにほかがありません。

 捉えようがないのです。

 いまこうして、あなたに、語りかけているには、わけがあります。もちろんわけと申しましても、それはあなたにとっては、わけというものは、はかない思いつきに過ぎないと思われることでしょうが、やはりわたしにはそれをわけと呼ぶしか無いようです。
 先日、わたしの祖母がなくなりました。それは、突然のことのようにわたしには思えます。今、こうしてこの文をかきながら、天井からカナブンが落ちてきました。わたしはびっくりして、筆をとめました。
 そういう唐突さを、わたしは祖母の死に、感じております。
 あなたにとってみればそれは仕方のない、一連の、宇宙の流れにのっとった、とるに足らぬ、万のうちの一コマ、それ以下に感じられるのかもしれません。
 いえ、そんなことはないですね。あなたはきっと、全てをひとつとして、一つをすべてとして感じられるわけでしょうから、きっと、このわたくしの突然も同じように、突然な、ただひとつの、出来ごととして体験なすったことだろうと思います。
 そう、思えばこそ、この筆が、止まることは無いのです。
 先程落ちてきたカナブンは、いつのまにか何処かへいってしまいました。床に落ちた所をみると、なにやらよろよろと歩くもままならない様相でしたが、すぐに回復したのございましょう。力強いものです。
 そうです。祖母の死です。それを理由と論って、こうして、あなたにわざわざ文を練ろうとしているのです。不思議なものです。それまでのわたしにはそういった、習慣はございませんでした。そもそも文を書くのにわざわざ筆をとるのも、せいぜい、幼き日の書初めの以来でありましょう。
 はたして、あの小さき幼きころの自分の方が、もしかすると、あなたの近くにおったのかもしれません。祖母の存在もそれはとても近くにあったように感じられます。
 わたくしが幼きその頃に、書いた作文などを読んでみましても、どうやら、その目には、生命の神秘が陰ることなく差し込み、十全に、その中で息をしていたと思われるのです。
 その頃に比べまして、わたしはなんと、窮屈な、息苦しい、人間と成ってしまったのでしょうか。
 絵もまたそうでした。幼き自分が描いた、いくつもの渦巻きが先日、母の書棚から出てまいりました。母はそれを大事にとっておいてくれたのです。それもただ自分の子が描いたからというより、やはりどうやらその絵を素晴らしいと思っての事だったらしいのです。そこには、目の前を動く、何か、形なるもの、形なきもの、双方を、分けることなく、そのまま、描いている、あまりに透明な、絵になっていると、わたしにはほのかに感じられるのです。
 母には、そういうものをはっきりと感じ取る素質がありました。だからこそ、家にはそういった母のお眼鏡にかかったもの以外は常駐することはありませんでした。食器類や、洗面台、出窓に飾られた調度品もみな、なにかある魔法のもと、集められた者たちの香りがいたします。巨大な棚に収められた西欧食器を横目に、祖母の贈り物であるお雛様が飾られる三月には、家の中に摩訶不思議な、国や時代を越えて、ある調和のもと、皆が生き生きと春を祝っていたように感じられました。
 こうして、ぞろぞろと、想が赴くままに書き連ねてしまい、わたしにもどう収集をつけていいのやら、わからぬのです。
 とはいえ、こうして、わたしが文を書き連ねることと、あなたが読むことはほとんど同じことのように思われます。あなたが本当に、読もうが、読まずに、火にくべてしまおうが、それは、いたって、同じことのように思われます。
 あれはキャンプファイアでのことでした。わたしはまだ小学生でしたが、その日、百人近くの同級生と、丸太で組み合わした櫓の周りをぐるぐる手を繋いで、回っていると、高揚感とともに、心地よさと、静かな、心持ち、まるで、燃えている自分の生命をはたから眺めているような、感覚に陥ったことがありました。
 そのときみた火は、先日近所の家の火事で、巨大な炎をみるまで、生涯で体感した、最も大きな炎でした。当時、わたしが小学生であると、思えば、もしかしたら、キャンプファイアの炎の方が、わたしにとってもみれば大きなものかもしれません。あるアフリカの民は遠くに見える人をリトル・ピープルと呼ぶらしいですね。それは、彼らの、太古からの、透明な目にうつる景色だからでしょうか。
 祖母は、この前の一月に亡くなりました。急性憎悪型肺炎という、世にも恐ろしい名の病がきっかけとなり、最期には、肺の機能が奪われ、一週間たらずで、逝ってしまいました。憎悪という言葉を聴くと、わたしには、どうにも、的をえない、全く実感のない、ぞうお、象夫、のような、シャムの昔話のようなものを思い浮かべてしまいます。
 わたしは、人を、何かを、憎悪したことがないように思われます。微かに浮かぶものとしては、うまく思い出せませんが、ある時自分を憎悪したようなことがあるような気がします。それは、おそらく中学に入って間もないころでしょうか。ある約束を、それもあまり重要ではない、破ってだれかに迷惑がかかるようなこともなければ、咎められることもない、そういった約束でありました。わたしは、とんだ間違いを犯し、約束の時間に間に合うことはなく、泣く泣く、家に帰ったのでした。そのとき、自分の軽薄さに、ほとんど憎悪したような気が致します。
 しかしそれといって以来、そのような感情が鋭くわたしの表面に出てくることは減ったような気がします。少なくとも憎悪というカタチではありませんでした。
 話が、あまりにそれてしまったようです。
 年末からお正月にかけてわたしは、インフルエンザにかかって、寝込んでいました。そのために、正月の集まりにはことごとく顔を出すことができず、久方ぶりに祖母と顔を合わすのが、病室になってしまいました。
 インフルエンザも全快し、母から、祖母の入院を聞いたとき、わたしは気軽な気持ちで向かったのを覚えています。そのときは、祖父も母も叔父たちも、だれもが風をこじらせた程度だと思っていたのです。高齢とは言え、祖母は、ずっと健康そのもの、悪いところ一切無しで通っていた、肌もつるつるの、はっきりした頭をもった人でしたので、あまり心配する人はありませんでした。
 病室で、祖母にあったときも、少し衰弱したようにみえたけれども、相変わらず血色はよく、肌もつるつるとして、意識はすこし朦朧としていた感じはあったけれども、寝起きだということで納得していたのでした。
 祖母は、わたしの従姉妹にあたる真理子の成人式のことをしきりに心配しておりました。何度も、真理子の成人式があるのに、わたしがこれじゃあ、と自分を責めんばかりの様子でした。
 その日、わたしは、一時間と祖母のもとにはいなかったようです。わたしはあまり心配を自身の胸に露わに持たぬように、仕事に向かったようでした。
 しかしあとになって、思い返すと、祖母の入院を伝えられる日の前の晩、夢に祖母が出てきているのです。そのことを、祖母がいよいよ悪くなったことを知った日に思い出し、夢の感触と、そこに漂う悲しみの霞に、夜の明かりが輪郭を失っていくのをぼんやり眺めているしかありませんでした。
 その夢はこういうものでした。
 
 祖父と祖母が、いつものように二人ならんで立っていました。
 何故か、そこはわたしが通っていた高等学校の正門から校舎へと続く並木道でした。周囲に人はおりません。道に沿って縦に並ぶテニスコートの整然たる様子に妙な気がいたしました。
 祖父は、焦げ茶色のジャケットに合わせたベレー帽をかぶっていました。秋と冬の間ような時分でありましょう。肌寒く少し棘のある風が祖母のスカーフを揺らしています。陽は落ち始め、足元に散らかる枯れ葉はオレンジがかった光に包まれていました。
 どうしたことでしょう。わたしの心は恥ずかしさにいっぱいでした。あんまり恥ずかしいもので、顔をあげることもできず、自分の靴先ばかりを見つめていました。すると、つま先の前に、銀杏を踏み潰してできたような、黄土色のシミがあるのに気が付きました。それは、どうやら幼き頃の自分が大きな石で潰したカマキリの卵のようです。
「・・・」
祖母がわたしの名を呼びました。それは子音や母音を伴う言葉としてではなく、それ以前の、空気に響く音になる前の、なにか、丸みを帯びた温かいかたまりのように感じられました。わたしは顔をあげることができました。みると、祖母は右手を差し伸べています。その右手のあまりの大きさは、視界に祖母がうまく入らないほどでした。わたしは自分が6歳にも満たない幼子になっていることに気が付きました。
 ひとたび、瞬きをすると、景色は元通りになり、祖母は腰を曲げ、手を差し伸べ、わたしを見守っていました。祖母のシルエットが輪郭に沿って、オレンジ色に照らされています。祖父が二人の様子を遠目に見ています。わたしは、祖母の掌をつかもうと、腕をのばしました。
 けれども、伸びたのは腕ではなく、道でした。祖母とわたしの間に、途方もない長さの道が、垂直に、地球の真ん中めがけて伸びていました。わたしは、その途方もなさに、ただ祖母に視線を送るしかありませんでした。祖母の眼差しは、その年月を重ねたやわらかい瞼や目尻に畳み込まれた笑い皺と対照的に鋭くわたしを見据えていました。
 そのとき、わたしは祖母の瞳の中に、自分の姿を見ました。まんまるい眼球にそって引き伸ばされたわたしの像は、赤ん坊であり、幼子であり、若者であり、大人でありました。

 わたしは夢の微細を、幾度も思い返し、何度も反芻しました。その度に、夢に漂う、捉えがたい不可思議をまえに、ただ目を瞑り、祈るような気持ちで、その全てを受け入れるしかありませんでした。

 病院のベッドに眠る祖母は、最期まで、一見、健康そのもののように見えました。まるまるとした体つき、顔も、腕も、みなピチピチした肌に包まれ、その、内部で起こった、命のやりとりなど、微塵も感じさせない、平和そのものでした。
 わたしはいま、ジンジャークッキーをいただきました。
 スリランカという国から、やってきた、友人のおみやげであります。生姜のぴりりとした辛味が、舌や唇に、残っております。しかし、喉元をすぎれば、微かに食道をぬけて、胃に落ちる感覚がありまして、新鮮な、口元にくらべたら、のっぺりとした、ままならぬ感覚であります。
 それほど、我々の内部というのは、しれぬものなのでしょう。
 そうした人知れぬ、本人にもしれぬ、内部のざわめきが、突然に、あるいは、じわじわと、現れ、命をもっていってしまうようなのです。
 祖母の内部に、肺に現れた、白い影は、あっというまに、祖母の胸奥に広がり、そのまま心臓を飲み込んでしまいました。
 わたしはその白影が見せる、陰りや、容赦のない蠢きに、気づく間もなく、祖母のふっくらした掌を握り、瞑られた瞳に、わたしの黒目を向けるしかありませんでした。
 
 今日は、とてもいいお日和です。早朝、空に沈殿していた灰色雲の残骸は、西の彼方に消え去り、今や、ほとんど真っ青であります。南の地平ほうに、ユーラシア大陸のような雲が一塊、ゆらゆらと、東から西へ、流れていくのが見えます。
 網戸に濾過された風は、わたしのくるぶしを冷たくなでてきます。隣家の雨樋を片手に陣取る蜘蛛の巣もまた、神社の紅葉をゆらす風の一群を受け流すことに手一杯に見えます。
 セミが、もう、数えるほどしか、鳴いておりません。また夏が終わろうとしています。
 祖母がいなくなって、幾度目の夏でしょうか。
 わたしにはわかりません。年月を数え上げる人間の悲しい習慣に、戸惑うばかりです。
 つい、先日のことのよう。 
 つい、先刻のことのよう。
と、言うしかないようにわたしには思われるのです。
 正午が近づいてきています。太陽が、わたしのつま先に落ちてきました。その温かみがじんわり、丹田のあたりまで登ってきています。
 先刻まで休んでいた、セミがいっぺんに鳴き始めました。彼らの後翅にも太陽が落ちたのでありましょう。そうしてその温かみが彼らを、また、鳴かせるのでありましょう。それは、まったくわたしにこの文を書かせた、丹田の蠢きのようであり、祖母の肺に現れた影のようでもあります。
 網戸の格子に、映る、正午の陽の光に、秋の夕暮れの趣が宿っています。柔らかな橙が薄影にまじり、熟した柿の香りを運んでくるようです。
 

A short novel written by Shinta
2018 Summer

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