ばっと

損か、得か

結果的に自分が得をする、そんな視点は忘れないようにしないとなと思うのです。

先日こんな記事を書きまして。

「損得で物事を判断するの、あり?」って部分を副次的に考え続けています。

シンプルに考えて、損するから更新頻度を確保しとこうみたいな消極的選択ってどうなん? と。

「自分だけが損する」って思うと、なんとなくそれは避けたいなと思うのが人情で「損するから」って行動基準が成立しちゃうのはわからんでもないんだけども、ふうむ。と。

同様に、利他的に行動して信用残高を集めようっていう理想郷的なペイフォワードな世界は素敵だとは思うんだけども、ペイフォワード過ぎてただただ手持ちが減っていくのもなぁと。

何事においてもバランスが重要であることはまちがいなくて。

利他的やミニマル、循環的な思考ってのは、今の時代に戦うための装備として大事だなと思うんですよね。それはもう間違いなく。

- 利他が可視化される
- たくさん持っていても、愛でられる総量は決まっている
- 誇示的なな消費はもはやダサい

ライフスタイルや考え方を自分で選び取って自分という人間の行動や考え方を提示してポジションや立ち位置を示しつつ日々やっていく。

SNSやブログをやっている人はたいていこんな感じで日々やっているんでしょう。

「損得」の話に戻るんですが、「自分の幸せ」や「自分の得」を追求するのは悪いことでもなんでもないし、当たり前だと思うんですよね。

ただし、その方法論がちょっと変わっていて。他人をぶん殴って奪い取るんじゃなくて、利他的に回して、みんなで勝つことを目指す。なんなら競合に勝ってもらって結果自分も勝つ。勝つタイミングはどんどん後にズレるけども、最終的に勝つ。

きれい事っちゃぁきれい事ですけども、実際にそうなんだからしかたなくないすか?

例えば、キングコングの西野さん、成人式出来なかった人のために成人式を自腹でプレゼント、もちろん氏の株を上げるため、氏のサービスであるレターポットやサロンの宣伝になる。なるけどこれ、だれか損してますかね?

「自分の幸せ」と「利他」は同居してトレードオンされる。

したたかであれ、ってのでも、狡猾に回収のチャンスを織り込め、でもなくて、「わくわくすること」に突っ込んでいこう、お金と時間を、という部分に帰結するの、これわかりますかね?

僕からしてみればワクワクして何か始める人やブログを書いてみようかと思う人が1人でも増えれば、もしかしたらつながって何かを一緒に始める仲間が増えるかもしれない、それだけでもう勝ちなんですよね。

自分の理想とする世界を作るなんて、言葉は壮大だけども、以外とシンプルに出来てしまうものだと最近は思っています。

くれぐれも何かを始めるときは、止めることが先に。吐き出すことが先に。


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