一〇号目の回顧

エッセイ「一〇号目の回顧」


 はやいもので当、小文芸誌「霓」も今号で一〇号目となった。一年に二冊というペースでやってきたので、五年も経てばなるほど一〇号となるわけである。その節目ということで、五年前に小文芸誌「霓」を立上げた時のこと等をツラツラと記そうと思う。

 二〇一二年、沖縄市にて沖縄初となるレインボーパレードが開催され、それにフライヤーデザインやパフォーマンスで関わった私も当日行進に参加した。パレードの主催者は当文芸誌メンバーの大城慧之氏。そして南定四郎氏も急遽列の先頭を歩いてくださることとなり、実はその日すでに文芸誌の主なメンバーが顔を合わせていたのである。
 それから数ヶ月後、第一回ピンクドット沖縄の前日説明会が那覇で開かれた。その会にも私と大城氏と南氏が顔を出していたが、特に打ち解けることもなく会が終わると同時に即解散した。私はせっかく那覇まで来たのだからとバーへ寄って飲むことにした。店の入口の前で、なんとなく南氏が中で飲んでいる気がする、と直感を覚え、店に入ってみると本当に南氏がカウンターで飲んでいたのである。バーのマスターに説明会の帰りであると言うと「なら南さんと同じですね、よかったらお隣に座ってお話しします?」と促され、その時初めて私は南氏と挨拶をして世間話やらをしたのである。話してみると、文芸作品の執筆や放送演劇の経験やら、南氏と私の好みや趣味が被る点がいくつかあり、なかなか楽しい時間を過ごした。
 数日後、とあるイベントで大城氏と会った際「このメンバーで文芸誌を作らないか」という話が持ち上がった。南氏は小説を書きためている、大城氏は論文を他雑誌にて発表している、私は詩を書いているということで、他にメンバーを数人探して集めれば同人をやれるのではという。私はサークルやグループに入って冊子を制作するという活動をそれまでにも散々やってきており、もうあんな疲れることは今後やることは無いだろうと思っていたのだが、そんな活動をしない期間が数年も続き、またやってみてもいいかなという気持ちに押され、代表をかってでて立上げたというわけである。

 まず付けた文芸誌の名前であるが、それ以前からすでに「虹」の旧字体と読みを調べて知っていたので、ここぞとばかりに付けた次第。今でもよく間違われるが、当文芸誌の正式な読み方は「にじ」である。でも別に「げい」と読んでもらってもかまわないし、好きに呼んでもらえればと思う。
 次に、当文芸誌の特色。主なメンバーが性的少数者ということを創刊当時新聞の記事にて発表させてもらったが、代表の私からあえて言わせてもらいたいのは「性的少数者の作家の文芸誌を作ろう」というハッキリした意図でこの文芸誌を作ったわけではないということ。創刊時、偶然集まった同志が性的少数者の活動やグループから出てきたため、結果としてそうなったというだけに過ぎない。なのでメンバーや招待した作家には、決して社会性の強いものに限らず本当に自分の書きたいものを好きなように書いてほしいと思っている。
 そこで、何故創刊当時、わざわざ性的少数者のメンバーが集まった文芸誌であることを新聞で発表したかについてであるが。十代の頃からものをかいて発表するということをずっと続けてきた私がひしひしと感じ続けていた「作者と読み手の立場、そもそもこの社会において、ふだん性というものに対しどれだけの人間が無意識に意識しているのか」という点を可視化されるため。ふだん無意識だったものを可視化させることで、人の物事の受けとり方や反応はどう影響されるのかということに関心があったのである。それに当時は丁度、沖縄の文壇に限らず、社会全体が性に対しての知識や意識があまりに後進的で話もまともに通じないような場面を多く目の当たりにしていたので、この機を逃すまいといったところだった。当時記事を書いていただいた新聞記者は、メンバー皆が性的少数者であることを記事にする必要性が疑問だと言い、しかもLGBTという言葉の意味すら知らなかった。そこで何とか記事を書いてもらうため本人にわかりやすいであろう比喩などを使って一から説明して説得したのだが、新聞に載った記事には私が説明に使った比喩がそのまま創刊理由として短文で紹介されていて、私は心身全ての力が抜けて放心した。
 だがこの投じた一石の効果は意外にも大きかったようで、これまでにも各方面からの様々な興味深い反応を見ることができた。例えば「メンバー全員が男性同性愛者で構成された文芸誌」と紹介する文面や、まるで当文芸誌が全世界の同性愛者を代表して物申しているものと言わんばかりの感想文、セクシュアルマイノリティ用語を使って丁重に読み解こうとしてくださるような時評文などなど。元を正せば、人間が自分の書きたい作品を書いて感性を表出させているだけのこと。
「その人がその人であること」すなわち感性というものが普段どれだけ性というものと深く関わっているのか、という「表明」、というか「実験遊び」というか、そんな当文芸誌はまだまだこれからも続刊していく。

(2018年4月「小文芸誌 霓 x」にて発表)

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