谷川俊太郎さんのこと

エッセイ「谷川俊太郎さんのこと」

 谷川俊太郎さんとお会いしたのは確か十七歳の頃だった。通っていた与儀のフリースクールの講師が、講演会に来てもらおうと思い立ち連絡したところ、すんなりOKを貰ったのだそう。当日、ビル二階にあるスクールの階段をはげた頭のオジサマが上がってきたので「あ、屋良さんが来た」と思ったら(当時ジャズピアニストの屋良文雄さんがスクールの音楽講師を務めていた)、そのはげたオジサマこそが谷川さんだったのである。丁度屋良さんも来ていたので二人並ぶと正に双子のようだった。その日は谷川さんの半生の話(手塚治虫氏からアトムの歌詞の制作を頼まれ、とんでもなく高いギャラを貰った等)や自身の詩の朗読を聞かせて頂いた後、皆で俳句を制作してみるという遊びのような内容の講演会だったことを憶えている。その俳句の時間に私のつくった句が谷川さんの興味をひいていたらしく「君の文章は個性的」というようなことを有難くも頂き、最後にわざわざサインを書いてもらうよりはと「握手してください」とお願いして握手もして頂けた。当時私は谷川俊太郎さんの文庫本サイズの詩集を母に買ってもらっており、本の終わりに載っている中島みゆき氏のエッセイで「谷川さんの瞳は色がない」というようなことが書かれていたので、私も谷川さんの瞳を覗き込んでみようと思っていたのだが、生憎視線恐怖症だったので失敗に終わった。それからしばらくして十八歳になった頃に、書店で見つけた谷川さんの最新詩集『夜のミッキー・マウス』を買って改めてその詩世界の虜になったのだ。
 沖縄国際大学の文芸部に入っていた頃、詩をずっと書いている先輩が「谷川俊太郎は日本で唯一、詩で食ってる人」と言っていて大いに納得した。書店へ行けば彼の本の多さは凄いし、それも年に一冊のペースで詩集を出版しているというのは詩人として類を見ない。そんな本の出版界に留まらず、今のインターネットやデジタルの世界でも精力的に活動展開しているのが谷川さんのセンス、魅力、凄さである。iPhone等のアプリやデジタル書籍の販売もしており、各々のデジタルの表現方法へ既に手を伸ばしているのだ。またインターネットの世界では谷川さんのファンの動きもよく目にする。公式ツイッターやフェイスブックページにはファンのユーザーがごまんと付いているし、ニコニコ動画等の動画サイトでは谷川さんの放送禁止用語で綴られた詩「男の子のマーチ」や「なんでもおまんこ」を朗読したものを公開して視聴者のウケをとっている愉快犯的なユーザーもいるものだ。「男の子のマーチ」の朗読といえば、昔タレントの明石家さんま氏と小堺一機氏が司会のバラエティ番組で、仙台放送の女子アナが無理やり読まされるということがあったようである。フリースクールでの講座でもご自身が悠長に読んでいたので結構お気に入りの自信作なのだろうか。詩のボクシングといった大衆娯楽性の高いイベントに賛同しているあたり、放送禁止用語云々以前に、開拓者としての印象を強く受ける。正しく表現者の鑑である。
 一方、中にはホームページで厳しい批判を述べる者もいる。これから紹介するのは詩人のS氏(ご本人に許可をとっていないのでお名前は伏せる)の文章である。批判の対象は「朝のリレー」という谷川さんの代表作で、一九八〇年代の数年間、中学国語教科書に掲載された詩である。批判文を引用する。
〝地球の自転という単なる自然現象を、人間が集団で行う共同作業としての「リレー」にたとえるのは、どうにも無理がある〟
〝時計のベルの音が、人類の連帯の合図だなんて、もののたとえにもならず… ~作者が本気で書いているとは思えない〟
〝「朝のリレー」には、まず初めに、読者に押し付けようとするテーマというものがあり、表現はそのためにねじまげられているのだ〟
〝この詩を教室で読む少年少女が、朝目覚まし時計のベルを聴いて、地球の裏側のまだ見ぬ同胞への連帯感をかきたてるだろうとはもちろん思わない。彼らが学ぶのは… ~この詩を教科書の教材とした人々の教育的意図そのものであり、詩の感動とは無縁のものだ〟
〝テーマのために詩を利用してはならない、というのが「朝のリレー」の教訓である〟
 納得である。正直、私も初めて「朝のリレー」を読んだ時、しっくりこなかった。このように厳しい視点で作品をみている作家がいるということを知れたのも、インターネットあってのことである。また、やはり谷川さんは良くも悪くも開拓者なのだなと、ベタ甘な一ファンの私は思う。余談だが近年、とある朗読ライブイベントに出演させて頂いたことがあり、そこで「朝のリレー」を読まされたのだが、生憎よくわからない内容の詩だった為、これといって何も考えず無難に朗読した結果、観客からは絶賛だったので(人の感想なんて案外わからないものだな)と感じた次第である。高校時代にも全校生徒の前で読まされたこともあり、ある意味運命の詩である。
 今年(平成二五年)の四月に、北海道へ一人で旅行へ行った。那覇から千歳までの直行便だったので飛行機の中で退屈すると思い、昔、母に買ってもらった例の詩集を機内で読むことにした。窓際の席だったので、到着するまで日本列島を一通り見下ろすことができた。詩集を最後まで読み終えた頃にはもう飛行機は着陸態勢に入っていた。私は何とも言えない気持ちになっており、兎に角ふと頭にひとつ浮かんだのは、自分はもういい歳の大人になるのにありがとうと言うべき人にずっとありがとうと言っていないな、ということだった。

(2014年1月文芸誌「那覇文藝(あやもどろ)第二十号」にて発表)

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