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『生きづらさ』って何だろう?

私は、9月22日木曜日の探究の時間にKAKEKOMI ・ソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さんが生きづらさってなんだろうソーシャルワーカーってどんな人?というお話を聞きました。
まず、私はソーシャルワーカーについてのお話を聞きました。
《ソーシャルワーカーとは?》
ソーシャルワーカーとは、簡単にいうと困っている・『生きづらさ』を抱えている人の手助けをする専門家なんだそうです。詳しく言うと構造(制度)と環境に働きかけて困っている人を支援し問題解決を目指す仕事。
もしも「暴力の被害に遭っている」と通報した場合
『ソーシャルワーカー』は避難できる家を用意する、加害者が接近できないよう法的手段をとる、警察や弁護士や病院への相談を支援する、お金に困らないよう支援する、周囲の人が味方するよう働きかける、守ってくれるような仕組みがないときは作るよう働きかける/自分で作るというような仕事をしているそうです。鴻巣麻里香さんはKAKECOMIというものをやっていてKAKECOMIはまかない子ども食堂(こどものサードプレイス)をしたりシェアハウス(民間シェルター)をしたりソーシャルワーク相談室(とりあえず困ったら相談できる)をしたり色んな活動をしていてKAKECOMIではないものをつくる➡『ある』を当たり前にするということをしているそうです。KAKECOMIは『駆け込み寺』と『コミュニティ』かけ合わせて名前にしたそうです。
『生きづらさ』とは?
・お金がない
・暴力を受けている
・女性らしさ/男性らしさを押し付けられる
・差別を受ける
・病気や障がい
・進路を選べない(周りに決められた進路で自分のなりたいものはあるけど                      
         なれない。など)        などなど    『うまくいかない』の根っこにあるものでそれぞれの人ごとに『生きづらさ』があるそうです。私は、このお話を聞いて生きづらさは誰しもが抱えてる可能性があってほんとにちょっとしたことでも生きづらいというのにつながる可能性があるんだなと思いました。
       『生きづらさ』は誰のせい⁇
   上手くいかなかったら「自分のせい」⁇⇒それは違くて
           ⇩
   生きづらさは『構造的問題』です。 例えば,,,
・お金がない⇒「お金の再分配」がうまくいってない、男女格差etc.
・暴力を受けている⇒性差別や(子どもの)人権の軽視、被害者支援(保                  
          護・ケア)が不十分etc.
・女性らしさ/男性らしさを押し付けられる⇒「らしさ」に依存する社会、教                                                                                          育の問題etc.
・差別を受けている⇒差別を許容する社会、人権の軽視、特権の問題、教育      
          の問題etc.
・病気や障がい⇒社会的障壁の問題、福祉が不十分etc.
・進路を選べない⇒地域間格差、経済格差、性差別etc.      
                              などなど
生きづらさは誰のせいでもなくてもちろん自分のせいでもなくて自分たちで解決することのできない(どうすることもできない)社会的(構造的)問題なんだということを知れて上手くいかなかったらなにかと「何で自分は」「もっと努力してれば」と考えていた自分はこの話を聞いて少し心が軽くなりました。
(社会の)構造って何?⇒(社会の)構造とは制度、組織、人々の相互関係・相互作用で長年にわたって存続し影響する『枠組み』のこと。
       構造的問題=格差と抑圧
誰かの『特権』が誰かの生きづらさを生んでいるんだそうです。特権を持つのはいいと思うのですが誰かの生きづらさを生むのならならみんな特権なんて持たなければいいのにと私は思ってしまいました。
          『特権』=自動ドア
自動ドアはたまに不具合でドアの前に立ってもセンサーが反応せずドアが開かないときがありますよね。この『特権』=自動ドアはそんな不具合なく自動ドアにぶつからずに平気で暮らせる(前に進める人の)ことを言っています。特権と生きづらさは交差・重複する『インターセクショナティ』=交差性という話を聞き私はもしもこの世に特権なんてなかったら少しは生きづらいなって思う人も減るのかな。と特権のない世界を想像したりしました。
生きづらさが『自己責任』に見える理由それは、逆境体験(環境)とトラウマにありました。逆境体験とトラウマがなぜ生きづらさが『自己責任』に見える理由になるのか。
逆境体験とトラウマ
・トラウマが「困っている人」を「困った人」にする
・「助けを求める」が難しくなる
・「好きで困ってる」ように見えてしまう 
・「本当に困っている(ように見える)」人探し
・支援を避けるようになってしまう
・孤立して声をあげられなくなってしまう
「トラウマ」が言葉を奪い構造の問題が温存されてしまうからです。トラウマが困っている人を困った人にすることによって助けを求めることが難しくなるそれによって好きで困ってるのかなと周りの人に思われてしまう。だから、自分よりも困ってそうな人を探して自分よりも困ってる人が居るからと支援を受けることを避けるようになってしまう。すると、周りからはこの人変な人と思われて気づいたら人が離れていて助けてと声をあげることが出来なくなっている。ということが続いてしまうから生きづらさが「自己責任」に見えてしまう理由なのではないかと考え私はそんな人がもし周りに居たら(もし自分がそうなったら)どうするだろうか。どうしたらそのような人を助けられるだろうとたくさん考えました。そして、日常生活のちょっとしたことでもトラウマになることがあって自分では気づいてない、ここはトラウマにならないだろうというところでも拾っている可能性かあることに私はとても驚きました。
では、今私たちにできることは何でしょうか?
それは、一旦「社会(世の中)のせい」にしてみることや「おかしい」「苦しい」から離れる、「気にしなくて済むこと」を探す、選挙に行く(世の中を確実に変えてくれるのは議員さんだから自分で下調べしたりしてこの人だったらって人に投票しに行く)などのことをして「社会(世の中)のせい」にしてから『本当の自分』と向き合ってその社会のひとりとして「どう変えるか」を考えてみるといいと聞きました。
私はこのような話を聞くことが出来て凄く良かったし、またこのような話を聞きたいと思いました。本当の自分と向き合って考えるということや逆境体験やトラウマでできた心の傷は消えることのないこと、トラウマは気づかぬうちにも拾っていることを知り驚きと困っている人に伝えたいという気持ちになりました。この探究で聞いた話を大切にこれからも生活しようと思いました。

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