
【短編小説】1995年の夜明けが全てだったあの頃と。夜を待ちわびる2020年と。
エアマックス95、ポケベル、PHS、ガングロ、チーマー、ロングバケーション、MD、オフラインに生きたぼくたちの90年代。
人と接続されていない。人とつながりすぎていない僕たちは純粋だったと思う。
今よりも価値観の流動が少ない分、考え方の選択肢が少ない分、物事を信じるハードルは低かった。素直に自分の信念を信じることができた青春時代。
今よりも画一化された善悪。ヒーローはヒーローだし悪者は悪者。わかりやすかった。優越感の悪意も、嫉妬の正体も分からなかった。思考の隙間が広かったし、思考の逃げ場も多かった。
今のような価値観の多様化は地獄の入り口のように思う。うまく運用できない人間には情報量は悪だ。
知らなくていい人の裏側は、知らなくていいんだから知らなくていい。そういう意味では1995年は見たくもない感情がオンラインにのらない夢のような世界だ。
今は心からそう思える。これは「逆ないものねだり」という現象なんじゃないかと思う。
仕事が早く終わらないかなと、夜を待ちわびている2020年。語り合って何度も出会った早朝の空。夜明けを待ちわびた1995年。
朝が怖くなったのはいつからなんだろうか。どこで熱量は失われていったのだろう。どこがスイッチのポイントだったのだろうか。
あの頃は最低か最高か。そのどちらか。今は最低でもないけど最高でもない。そのどちらでもない。
今思えば、大人が言ってた事はメチャクチャだったけど、教育の全てがウソだったんじゃないかとすら思うほど、正しさの精度が低すぎたけど、それを信じれた自分の心は綺麗だった。
担任の先生は「自己責任の時代がくるぞ!終身雇用なんて信じるな!」なんて言ってなかったし、
部活の顧問は「練習中は水飲むな!」と叫んでたし、
理科の先生は「AIが仕事を奪うぞ!気をつけろ!」なんて教えてくれなかったし、
数学の先生は「ブロックチェーンができたら銀行の仕事いらなくなるぞ!」なんて全然言ってくれないし、
むしろ銀行とかに就職決まったら、お前の人生もう大丈夫バラ色だと賞賛を送っていたと思うし。
親や先生達には、いい高校に入れ。公務員になれ。安定した職につけ。
そんな事は教えてもらったけど、
いい高校に入った人は今幸せなんだろうか?公務員になった人は今幸せなんだろうか?安定した職についた人は今幸せなんだろうか?
てゆうか、あの頃の仲間はみんな元気なんだろうか?てゆうか元気って何?って話だし、幸せって何?って話だし、安定って何?って話だ。
たぶんこの教えは間違っていた。
でもそんな大人達が愛おしい。悪意がないから憎めないのだ。もらったたくさんの愛情に比べれば。間違った知識なんてほんの些細な問題だ。
不自由さは幸福度と直結しない。自由を知った後の不自由さが幸福度と直結するのだ。CDウォークマンとか死ぬほどデカかったけど、ポケベルとか電話ボックスから死ぬほど面倒だったけど、iPhoneを知らなかったから不便だったことにすら気づかない。
知らなくていい事は確実にある。それはiPhoneも人の感情も同じことだ。でも知ってしまうし、知りたいと思うぼくらの未来は明るい。
ぼくたちも恐らくこども達への教えを間違うのだろう。という事は伝えられる事は愛だろうと思う。愛は熱量なくして生まれない。
あの頃のような青い熱は出せないけど、赤い熱は、ぼくの中に眠っている。
1995年の夜明けが全てだったあの頃と。夜を待ちわびる2020年と。過去の自分全員と生きていく。
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