お前はどうだ!

えんとつ町のプペルを2回観たら、さらに感動して思ったこと。

何十年も、「例年通りで」って動いた人たちは、例年通りがあたりまえで、例年通りじゃないことはいけないこと。

そして、その例年通りは、未来を考えたものでもなく、みんなのことを考えたものでもなく、未来がどうなろうとも例年通りで、未来のことよりも例年通りが大切。

例年通りが楽だから、例年通りがめんどくさくないから、例年通りが考えなくてもいいから。

そんな人たちの集団に、「新しいことをしましょう」「未来を考えましょう」って言ったが最後、「なんでそんなことをしなくちゃいけないの?」「そうは思うけど、みんなが賛成するの?」「自分たちだけでやるなんてダメじゃない?空気読まないと」と言う答えが返ってくる。

終いには、「なんでそんなことを、新しいことをやらなくちゃいけないの?今まで通りでいいのに」。

その人たち、若い頃はそんな風ではなかった。

志を持っていたはず。

それがいつの間にか、「例年通り」の集団の中で、空気を読むことを覚え、同調することを覚え、目立たぬように、意見を言わず、意見を持たず、空気を読み、いつの間にか志はどこかへ行ってしまう。

いつの間にか、自分の考えよりも、集団が優先し、自分が考えることをやめ、自分が意見することも忘れ、ただ黙り、指示されるがまま、指示されるのを待ち、言われたことを言われた通りにやることに喜びを覚える。

人の目を気にして、やらなくてもよいことを人の目を気にして行う。

やらなくてもよいことなのに、それをやった人は賞賛され、お互いに感謝し合う。

やらなくてもよいことなのに、やったことを互いに賞賛し合い、認め合う。

やらなくてもよいとわかっているのに、空気を読むこと、同調することを優先し、やらなくてもいいことじゃないのっていう意見は言わない。
もしも、新しいこと、未来を考えたことなんていう意見を言えば、意識高い系?と揶揄され、いつの間にか、意見を持つこと、考えることを停止する。

そんなことより、空気を読むことより、同調することより、自分のやりたいこと、好きなこと、ワクワクすることだけをやること。

時間がないとか、賛成されないとか、お金がないとか、そんな言い訳を捨てて、できない理由を捨てて、人の目を気にせず、自分の意見を持ち、意見を言う、そしてそれを正解にする。

たとえ仲間がいなくとも、たとえ仲間から見捨てられようとも、未来を見据えた自分の考え、やりたいこと、好きなこと、ワクワクすることを徹底的にやり切る覚悟と勇気。

自分の夢をあきらめた人は、いつまでも夢を追いかけている人が大嫌い。

だから、夢をあきらめろ!と言ってくる。

夢が実現しようものなら、夢を諦めた自分が、自分の存在が揺らいでいく。

だから、引き摺り下ろす、夢を追いかけることから。

ただ素直に夢を追いかけ、未来を語り、その実現に向けて、ただひたすら行動する、あきらめず、あきらめず、ただひたすら追いかけまくる。

そういう人を、その覚悟と勇気を受け入れ、賞賛する仲間、集団。

夢を追いかけ、夢を実現することがあたりまえに賞賛される社会。

えんとつ町はモックモク、あたりまえのようにモックモク、けどそれは違うんじゃないのって言うこと、言える勇気。

星があるって言う勇気。

お前はどうだ!って試された映画、えんとつ町のプペル。

教師はそう言う勇気と、そう言うことが言える仲間がいるかどうか、それが試されている。

お前はどうだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?