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賞の隣。

世界には数多の賞がある。

スポーツの世界にも、科学の世界にも、芸術の世界にも。
「順位」ではなく「賞」である。

その賞に輝いた人や論文や作品は多くの人から賞賛され、時には賞金などもあり、後世に名前が残ることすらある。後世に名前が残らなくとも、地域でちょっとした有名人になったり、ネットにちょっと掲載されたりする。

「賞」は大変、誉である。

時には、賞に輝く前の「ノミネート」の段階で、高い評価の証明に繋がることがある。それは、その賞自体が最高峰であればあるほど「ノミネート」自体に価値が生まれる(気がしている)。

「ノミネート」は非常に、誉である。

しかし、「ノミネート」もされず、「賞」にも輝かないことが、「すごくないこと」「素晴らしくないこと」の証明にはならない。二律背反的に考えてしまうと、「賞を獲る=素晴らしい」の裏には「賞を獲れない=素晴らしくない」という構図ができる。そうではない。賞を獲れなかったとしても、それはただのベースであり、いつものところであり、昨日と同じ状況なのだ。

あくまでも「賞」はその素晴らしさや他者からの評価を可視化して讃えるためのもので、獲れないものを追い詰めるためのものではない。
また、賞を獲れなかった本人が残念と感じたり、悔しがることは自由だが、他者が賞を獲れなかった本人に悔しさを強要してはいけない。「賞に輝けなくて残念だったね。」なんてもってのほか。傷口に塩だ。声をかけるくらいなら、黙って焼肉をおごってほしい。

そう、私は今日、獲れそうだった賞を獲れなかったのだ。
全て愚痴である。

しかし、「賞」は讃えるためのだけのツールであるのは本当である。
ツールは使い方を間違えてはいけない。
ノーベルの作ったダイナマイトで人が死ぬ様に、間違えてはいけない。
(ノーベル賞とうまくかけて締めたかったが、できない。)

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