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ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌 ― しんすけの読書日記

オーウエルが全体主義批判として書いた『1984年』は、反共のプロパガンダとして利用されたこともある。
何故だろう。あの憎んでも憎み足りない偽善者のオブライエンは安倍晋三によく似ているのに。

最近、以下の三人がぼくの中で一つになって混乱状態だ。
ヴェーユ
オーウエル
カミュ
似たような考え方をする人たちなのだが、それぞれ個性的なのだ。

似てるといえば三人とも左翼を自称しているが、左翼とみられることはあまりない。
ヴェーユや永久革命のトロツキーを慕い、ソビエトを憎んだ。
オーウエルが『動物農場』で描いたスノーボールはトロツキーに似ている。
カミュはソビエトの全体主義を毛嫌いし、ソビエトに未練を残すサルトルとの友好を断ち切った。

そう。彼らは自由を愛して止まない左翼だったのだ。

川端康雄『ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌』

少し先を急ぎ過ぎた。ここからオーウエルの生涯のエポックとなる箇所を本書に沿って書いていくことにする。

八歳になったオーウエルはセント・シブリアン校に入学する。この時代は苦痛に満ちた日々だったという。後日、このころの思い出を「あの楽しかりし日々」という皮肉な題名のエセーで明かしている。
このエセーについてはセント・シブリアン校の卒業生から、オーウエルの描き方が偏り過ぎているという批判もあるそうだが、ぼくはオーウェルは偏っていないと思いたい、何故なら小学校の特に低学年の生活は感受性が豊かな者には苦痛でしかないからだ。この時代を楽しいなんて思うのは何も考えない豚の精神の持ち主でしかない。

二十一歳になると英陸軍としてビルマに配属される。
そこでイギリスの統治が強大な圧政であることを知るが、僧侶に銃剣をぶち込みたくなる自分の二重性に気づく。オーウェルの正義とは、たんなる抒情で捕らえてはならないに違いない。

オーウェルは多くの女性と交際するが、三十三歳のとき生涯の伴侶となるアイリーン・オショネシーと結ばれる。オーウェルとの生活が苦難を伴うことをアイリーンが承知しての結果だった。オーウェルとアイリーンは似た者同士なのだった。

オーウェルとアイリーンは内乱のスペインやモロッコもともに歩いたのだった。
こうした中でオーウェルの社会を見る目はさらに大きくなり、作家の道へと前進しだす。

『カタロニア賛歌』は、スペインの調査から生まれたもので、今でもよく読まれる。しかしソビエトの全体主義を批判する記述が含まれていたたため、出版に苦労する。
オーウェルには社会主義者を装って貧民を苦しめる者は、ファシスト同様に憎かったのだ。

このため本は売れても清貧の生活を耐えねばならなかった。アイリーンはこれを苦にすることもなく、オーウエルが始めた農業にも協力を惜しまなかった。
このころの体験が『動物農場』なったと思われる。
アイリーンは、書き進められる『動物農場』を楽しんで読んでいたようだ。だが『動物農場』の出版を見ることなくアイリーンは急死する。子宮潰瘍が原因らしいが、貧苦で体力も落ちていたのではないだろうか。1945年のことだった。

第二次大戦が終了すると、英国やソビエトが反ナチスであったかのように振舞う挙動が見えだす。それを暴く意味でオーウエルは『1984年』を描いたに違いない。
これはソビエトに代表される全体主義の批判であり、社会主義を批判するものではなかった。

オーウエルは自由を愛する社会主義者だったのだ。

※本書の中でオーウエルは本名のエリック・ブレアで記述されていることも多い。だが本稿では煩雑になるのを避けて、すべてオーウエルと記述した。

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