連続から不連続へ、そして並行して流れ始めた時間が通過する中途半端な時代に生きること
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連続から不連続へ、そして並行して流れ始めた時間が通過する中途半端な時代に生きること

10月も半ばを過ぎ、今年も残すところあと2か月半弱。
ついこの前まで8月で、塾講師のバイトに追われてた気がするけど、気が付いたら課題に追われるようになった。

連続しているはずの時間が、まるで不連続であるように振舞っているような感覚。
特に我々学生は、長期休みの前後で感じることになる。
自然と調和し、連続した時間の中で生きてきたはずの日本人が、自然と隔絶し、不連続な時間の中で生き始めたのは一体いつ頃からなのだろうか。
きっと散切り頭を叩いて文明開化の音を聞いているころから徐々に隔絶していったのだろう。

世界中をネットワークという網で覆ってから、時間は不連続かつ並行に存在するようになった。
それまで時間の流れを自分の周りでしか感じることができなかったのが、今では世界中あらゆる場所の流れを感じることができる。
世界中のいたるところで起こる事件を同時に入手し、あたかも別の時間軸であるかのように錯覚させられる。
東京でもサンフランシスコでもマドリードでもムンバイでも、連続して流れているはずの時間が、すべての箇所で独立し、かつ並行に流れているようである。
まるでパラレルワールドから、パラレルワールドを経由し、パラレルワールドへ接続しているような感覚。

コロナ疲れ、リモート疲れの原因はあーだこーだ言われているが、その実、並行した時間の濁流に飲まれたことに起因する身体的及び精神的な疲労なのではないかと思う。
人類がデジタルというものを開発し、ここ数十年での科学の発展の恩恵を受け、人生100年時代ともいわれるようになったこと自体はとても素晴らしいことなのだろう。
しかし、肉体の進化がそれについていっていないのもまた事実。
このことを考えたとき、現在我々が生きている時代はとても中途半端なのだと感じざるを得ない。

不連続かつ並行して流れる時間に適応することは、僕らの世代では不可能なのだろう。
僕がこのnoteを書いている間、またはあなたがこれを読んでいる間、世界では様々なことが並行して起こっている。
これらすべてを扱いきれない中途半端な今の世代を生きる僕たちは、拾うものと捨てるものを選別しなければならないだろう。
不連続な時間を相手にするだけでも悲鳴を上げているのに、そんなことができるだろうか。
否、できるようにならなければいけない。
肉体の進化を待つのではなく、思考の進化をする。
なかなか難しい時代に生きているものだ。

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Shinsuke Hoshina

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