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第1回「ネームを直すのって大変じゃない? 問題」について語ってみました

ストーリーでつまずく漫画家を助けたい!
脚本家・映画監督・スクリプトドクターの三宅隆太とマンガ編集者の吉野志郎が、漫画家や漫画家志望者のお悩みや質問に答えていく連載をはじめます。

「ネームは1回撮影し終わった素材なのではないか?」

吉野 先日、Twitterスペースで「スクリプトドクターと漫画編集者のガチ対話」という企画をやりました。
三宅 「ストーリーでつまずく漫画家を助けたい!」ってやつですね。
吉野 「ストーリーでつまずく漫画家を助けたい」っていうのは、僕がずっと思ってきたことで。
三宅 「ネーム」問題ですよね? 何度も書き直すうちに混乱してきて、書けなくなる。
吉野 ストーリーでつまずく漫画家さんってほんとうに多くて……。
三宅 つらそう……。
吉野 そうなんですよね……。それで「ガチ対話」で三宅さんが「ネームは1回撮影し終わった素材なのではないか?」ということをおっしゃっていました。その言葉にとてもハッとしたんです。
三宅 ぼくは単純に不思議だなぁと思ったんですよね。一度ネームにしちゃったら、修正していくのが大変じゃないの? なんでその前にプロットで方向性とか展開の確認をしないんだろう?って。


三宅 映画やドラマの世界では、いきなり脚本を書きはじめることはないんです。書くのも大変だけど、修正するのがすごく大変になるから。なのでプロデューサーもいきなり「脚本を書いて」とは言わない。「とりあえずシノプシスを書いてください」とか「とりあえずプロットを書いてください」っていうふうにオファーしてくる。でも漫画の世界だと、その「とりあえず」が、いきなりネームなんでしょ?(笑) それって僕らの世界だと、撮影しちゃってる状態に近い。カット割って芝居撮って編集も終わってるに等しいわけだから。
吉野 そうかも。
三宅 だとしたら、それを直すっていうのは漫画家からすれば、すごく大変なはず。単純に作業量が多いというのもあるけど、こういう順番でこうなって、だからこういうコマ割りになっていて……っていう、明確な考えや狙いがあって、そのコマ割りに至っているわけですよね?
吉野 そうですね、組み立てられているものです。
三宅 そうなると編集者から修正を要求されても、最初のネームに引っ張られちゃうんじゃないかな? ネームを書き上げるに至った思考に引っ張られるっていうか。まずシノプシスとかプロットを書かせて、それを漫画家といっしょに叩いていって、「これでいけそうですね。じゃあネームにしましょう」っていう順番じゃダメなの?
吉野 もちろんプロットを書くひと、シノプシスから共有して進めていくひともいますよ。
三宅 そうなんだ。なのにネームで「ストーリーにつまずく」?
吉野 そういうことはあります。
三宅 うーん、そこが不思議ポイントの2つめですよね。プロットを共有してるってことは、編集者と漫画家はこれから漫画の形にしていく、つまりネームを書いていくにあたって、すでに内容だったり展開だったりの確認が取れてるってことですよね? なのにネーム段階で「ストーリーにつまずく」ってどういうこと?っていう。
吉野 たしかに。
三宅 もしかしてなんですけど、漫画の世界でプロットと呼ばれているものは、ぼくらがプロットと呼んでいるもの、つまり映画とかテレビの世界でのプロットよりも精度が低いのかも。
吉野 プロットだと思ってるけど、実はプロットになってないっていうことかも。
三宅 うん。だって、おかしくないですか? プロットでコンセンサスが取れてるのに、ネームに進んだ段階で「ストーリーにつまずく」って。コマ割りとか絵の表現上の問題とかで修正が入るのは分かるけど、筆が止まってしまうほどにストーリーが動かなくなる。ひょっとしてプロットの段階で、実はちゃんとつめられていないのに「イケる!」って早とちりしてたりしないのかな? 見切り発車でネーム作業に入っちゃってるとか。


「プロットの役割とは?」


三宅 ちなみに映画とかTVドラマの世界で言うプロットは、ストーリーの中で起こる出来事やそこに対する登場人物の反応、そのうえで彼らが起こす行動、その結果起こる新たな出来事……というふうに、ストーリーが進行する順番にエピソードを並べたものです。
吉野 時間を意識して書く。
三宅 つまり構成を組むってことですね。それぞれのエピソードがどの順番で起きるのか、どのくらいの長さなのか、で観る側への訴求力も変わってくるし、順番や長さ次第では退屈になったり分かりづらくなったりもする。映画やTVドラマは、上映時間が決められた「時間芸術」だから、特にこの点には留意して作られます。
吉野 漫画にもページ数の制限があるのでそこは共通してると思います。
三宅 ですよね。あと、プロットで構成が組めていれば、その後の脚本にしていく段階、もっというと撮影をする段階に、現場で何が起きるのか、何が必要なのかが分かってくる。どんな登場人物が出てきて、彼らが何をするのかが分かる。必然的に用意すべきことが見えてくる。
吉野 書き手だけじゃなくて関わるひとたちがイメージを共有できる。
三宅 そうです。となると「こういう場面を入れようとしてるんなら、これくらい予算がかかっちゃうから、もっとコンパクトな別のアイデアに変えて欲しい」とか「こういう人物を出すなら、恋人とか友達も出てきたほうが効果的かもしれない」みたいに、修正のためのアイデアも具体的に言いやすくなる。
吉野 書き手へのオーダーが明確になる。
三宅 そうです。オーダーが明確なほうが書き手も修正しやすくなるし、アイデアが閃きやすくもなる。結果として、次のステップの脚本を書く際に「ストーリーにつまずくリスク」が軽減する。


「プロットはワクワクするためのツール!?」


三宅 プロットの役割でもうひとつ大事なのは、書き手がワクワクしていくための時間が作れるってこと。
吉野 ワクワクする時間?
三宅 こういう出来事が起きたらもっと面白いかな? こういうキャラクターだったらどう反応するかな?っていうふうに、書き手自身がワクワクしながら人物の動向や展開を変えたり、動かしたりして探っていける。つまり、より良い結果を「発見していくため」のツールなんですよ。
吉野 気づきが得られるツール!
三宅 そう! で、その気づきが、いざ脚本にするときの精度を上げることにつながる。一方で、いきなり脚本を書き上げてしまったら、固まりすぎちゃって修正しづらくなる。だから、下手にいじるとどんどんおかしな方向へ曲がっていってしまう。
吉野 ストーリーにつまずく危険性も上がる。
三宅 そうなんです!だから漫画家の場合でも、詰めが甘いままいきなりネームを書きだすんじゃなくて、僕らがプロットと呼んでいるレベルまで検証を進めてから、ネーム作業に入れば?と思うんです。そうすれば、ネームの段階で「ストーリーにつまずく」のも避けられるかもしれないし、もっと言うと、よりクオリティの高いアイデア、なんなら当初は思いつきもしなかったマジカルな展開とかが生まれるかもしれない。そういうプロセスってワクワク感とイコールだと思うんですけどね。
吉野 プロットの段階で叩くっていうことに慣れてないひとが多いのかもしれない。漫画編集者も、しかりで。プロットのやりとりでワクワクしながら、じゃあこうしてみようああしてみよう……っていうふうにできるほうが、ネームで修正していくよりうまく道を見つけられるひともいるかも。プロットがより完成形に近くなっていく。そこであらためてネームにしていく。
三宅 急いでネームにいきたがるのって、どのみち最終的には「漫画」になるから、内容の確認も「漫画のカタチ」でやるべき、っていうことですよね? でもそれはもう「漫画」じゃん(笑)。もう描き上げているのと同じじゃんっていう。細かい絵の精度が低いだけで。
吉野 もう漫画です。
三宅 一度「漫画状態」にして描いちゃったら、直すのはとても難しいはず。なのに、そこからストーリーの検証が始まる。だったら直しやすい「プロット」の段階で検証すればいいのにって。同じ話のループになっちゃうけど(笑)。


「ネーム段階で修正が多く入る理由は?」


三宅 ネームで直しがたくさん入るのって、そもそも描き出す前の登場人物についての考察が足りないってことはないですか? ストーリーにはなってるけど、ドラマが弱いとか。
吉野 話は通ってるんだけどドラマがない、とはよく指摘します。そこからキャラクターが弱いっていう話になっていく。
三宅 だから、なんでそれがネームの段階で(笑)。
吉野 それが根深い「ネーム」問題。
三宅 ネームにした段階で「ドラマがない」「キャラクターが弱い」ってことは、その前段階でも「ない」し「弱い」ってことですよね? 存在してないものをいくら漫画の形に落とし込んでも、それは面白いネームにはならないんじゃないかっていう気がどうしてもしちゃう。漫画業界は門外漢だし余計なことかもしれないけど。
吉野 ネームはもうすでに「コマを割って」作られたもの、つまりもう「漫画」なんだということを漫画編集者も気づいて修正のやりとりをしないと、漫画家と編集者がお互い違うところを見てしまう危険があるかも……。
三宅 編集者はコマ割りとか、絵そのものにフォーカスして話していても、それを描いてきた漫画家はそこに至るプロセスに意識がフォーカスしている可能性はある。
吉野 そうか。実は時々、提出済みのネームから、あまりにもガラッと変わったものが上がってきて困惑することがあるんです。なんでここまで変えちゃうの? そこまで変えなくていいのにって。「目の前にあるすでに描かれたネーム」を直すということは、「あなたのプロットに立ち返って」もう一度考えてみて、っていうとの同じことなんだ。
三宅 言われてるほうはそう感じている可能性はありますよね。あと、漫画家志望者とか、もしかしたらプロの漫画家もそうなのかもしれないけど、ひとによってはプロットを作ること自体が、慣れていない工程なのかも? だからそもそもプロットの段階では、書いた本人もストーリーの具体的な展開や構成をつかみ切れていない。本当はそこで掴んでおけばいいんだろうけど、その方法に慣れてない。結果、ネームで探るしかなくなる。でもそれだと無理が出てくるから、描き直しを繰り返すうちに、混乱してくる。
吉野 「ネーム」問題は、言い換えるとプロットが正しく書けない問題、なのかもしれないです。
三宅 正しく書けない、というか……うーん。もしかしたら、そもそも誤解があるのかもしれない、プロットに対して。
吉野 プロットに対する誤解?
三宅 プロットって、別に、こうでなければならないというような形式なんてないんですよ。美文である必要すらないですからね。展開の流れとキャラクターの動向が分かれば良いだけだから、文章としての完成度が求められるものではないんですよ。ストーリーの大元の幹を太くして、ドラマの強度をあげていくために検証する。そのために書くのがプロット。元々ドラマがないストーリーを、いきなり脚本の形で書き出してもうまくはいかないんですよ、やっぱり。
吉野 うんうんうん。
三宅 だから僕らはまずシノプシスで、ドラマの幹を探るんです。ようするに構造ですね。
吉野 さぐるんだ、構造を。
三宅 そう。シノプシスの段階で、そもそも強い構造になってるかどうかを検証する。企画やアイデアが「明確で力強い葛藤構造を有したストーリーライン」になってるかどうか。まずそこでダメなら、もっと企画自体をブラッシュアップしなきゃならない。そこはイケてる、ってなったら、今度はどんなエピソードをどんな順番で語っていくべきかっていう、具体的な構成をプロットで探る。
吉野 構造と構成はちがう
三宅 ちがう。構成はもっと細かくて具体的。しかも時間軸にのっとって語られるもの、いってみれば「関係性の鎖」のようなもの。あ、ここでいう時間軸っていうのは、劇中の時間軸ではありませんよ。脚本上の、映画やTVドラマとして完成した際の、上映時間内での時間軸のことです。そこを意識しながら観客に情報を伝えていく際の順番を決めていく、というか。観客の認知を活かして展開するためには、どのエピソードがさきで、どのエピソードがあとだと、より効果的か、みたいなことをさぐる。
吉野 それがプロット!
三宅 そう!


吉野 いろいろなやり方の漫画家や漫画編集者がいるから一概には言えないですけど、ひたすらネームをやり、プロット練るようにネームでどんどん練っていくベテランのひともいますし。それも連載をしながら。
三宅 たしかにそういう方もいるでしょうね。実際、僕らの世界でも、いきなり脚本書いたほうが上手くいくひともいます。特に芝居の脚本、戯曲書いてるひとには多い。構成を考える前に、もうキャラが動きだすっていう。ただし、映像を媒体にした映画とかTVドラマの脚本を書く場合は、やっぱりプロットを書いた方が良い。
吉野 ドラマを作る基本ができているひと、でも?
三宅 舞台は予算を気にしなくても良いんですよ、映像と違って。満席のスタジアムの場面でも椅子一個で表現できちゃう。ワーッって歓声のSE入れたり、両隣の席の人とアイコンタクトするような芝居をすれば、実際は無人でも主人公の両隣の席は埋まってることになる。
吉野 そういう省略の表現ができる。
三宅 表現の仕方がいくらでもある。やりようがある。だから、好きに書ける。でも映画やTVドラマで同じ場面をやろうとしたら、実際にスタジアムを借り切って2万人のエキストラを入れなきゃいけない。もし、いきなり脚本書き上げて、プロデューサーがそこで初めて、スタジアムと2万人の観客が出てくる場面がある、と知ったら大ごとになる。どうしても必要な場面ならいいかもしれないけど、ちょっとした場面で、しかもそこしか出てこないエピソードだとしたら、予算との釣り合いがまったくとれなくなっちゃう。かといって、一度「脚本という形」になっちゃったものを修正するとなると、いろいろ大変になっていくのは、みんな分かっている。
吉野 だからプロットでの確認や検証が必要になる。
三宅 漫画は絵に描けばいいだけだから、そこは自由度が高いんだと思うけど。で、話を戻すと、いきなりネームでも大丈夫なひと、ネームでもバンバン修正ができちゃうひとは問題ない。でもネームでの修正が苦手だったり、思い悩んじゃって書けなくなっちゃうひとは?って話。ネームを書き出す前の段階でキャラが弱いんだったら、ネームで何をやったってそのキャラは動かないし、そもそも葛藤の流れがきちんとおさえられていないのにネームを組んだって、うまくいかないはず。
吉野 プロットを叩いてもっと固めていく作業に時間をかけたほうがうまく行くかもというひとっていると思います。
三宅 ですよね。プロットでストーリーの強度を上げてから、ネーム描いたほうが伸びる漫画家もいるのかもしれない。ネームだけ見て「こいつ漫画家としての才能ないな」とか「わたし漫画家に向いてないのかも……」っていうのは、早とちりなんじゃないの? 思い込みなんじゃないの? 勿体ないじゃん!って思う。プロット書いてからネーム組んだら、うまくいくかもしれないじゃん! って。


「もしかして企画自体が弱いの?」


吉野 人物の葛藤を描くのが苦手なひともいますね。
三宅 それに関しては、ネームとかプロット以前に、そもそものアイデアが弱い、企画が弱い、っていうことかもしれない。
吉野 そもそも思いついたことが弱い、ってことですね。
三宅 そう。これならイケる!って思えても、その「イケる」が、僕らが映画やTVドラマを作るときに言ってる「イケる!」のレベルに達してない状態で書きはじめちゃってるのかも。「へそ」をつかめてないっていうか、その企画の。
吉野 書こうとしてるその作品のキモとなるようなものですね。
三宅 うん。そのキモじゃないものを無理に希釈して、薄めて引き延ばしちゃう。それ自体がキモになっていないと、さらなるアイデアや展開を呼び込めなくて、むりやりエピソードを継ぎ足す感じになっちゃう危険性はある。
吉野 プロットを担当編集と叩いて、いろいろ意見を交わし合う中で、あ、そっか!って気づいたり、企画の本質に気づけるかもしれない。その一個一個の気づいたことを叩く中でまた気づきが連鎖して……って、より面白いものに、ワクワクできるものになっていく。つまりキモをつかめる。だからそれは希釈にならない、ってことですね。
三宅 と思うんです。どうも聞いていると、本来は川の上流で考えなきゃいけないことを、もう下流まで、支流まで、全部書いちゃいましたって状態になってから、上流の水を堰き止めようかっていっても、いやもう支流まで流れちゃってるから無理です、っていうことなってるんじゃないかって気がする。それが「ネーム段階でストーリーにつまずく」ってことなのかも。なので、そういうひとは、ちゃんとプロットを作ってから……。
吉野 ちゃんとプロット。正しいプロット……。
三宅 形式の問題じゃなくて、質ですよ。
吉野 いかに叩いたか。イコール、質。
三宅 大元の「企画」に面白さの種や力強さの幹が、ちゃんと入ってるか入ってないか。そこに起因する。つまり、今起きてる問題っていうのは、つねにその前に問題があるからいま結果として出てるわけで。原因というのはつねに過去の中にある。これはプロットだけじゃなくて。
吉野 この世の理(ことわり)ですね。
三宅 あらゆる時間軸は過去から現在、未来へと動いている。ということは、なんらかの結果に対しては、今よりも過去にその原因が必ずある。ネームもそのはず。原因はそれ以前にあるのに、結果に直接メスを入れて修正しようとしても……。
吉野 原因にたどり着けないかも。
三宅 そのリスクが、いきなりネームを描くことで起きちゃってないかな、って。たとえば絵に引っ張られるとか、コマ割りに引っ張られるとか、この順番でシーンを組むっていうのが、もうネーム上でそうなってるから、って考えちゃって、にっちもさっちもいかなくなる。でもその前がおかしいからネームがそうなっちゃってるだけなんじゃない? っていうふうに、ポジティブな感覚で漫画作りの「進め方のシステム」を変えられないのかな。
吉野 例えば、後ろの方のこのコマやセリフがなんか違うよねってなる。このシーンが変、このネームがおかしいぞってなると3ページ前で言ってることがもう違う。そうすると、もっと前のページのここの分岐が違う、って話になってきて。っていう話はよく出ます。
三宅 そうでしょうね。脚本も同じ。三幕目に起きている問題っていうのは、一幕目に原因があるわけです、当然。でも一幕目に起きてる原因は、その一幕目をこういう風に組むんだ、と思い付いた時にもうすでに、その前に原因があるんですよね。
吉野 今起きていることは過去に原因がある。
三宅 三幕目の問題を三幕目だけで解決しようとしてても絶対良くはならないし、それを変えちゃったら一幕目から三幕目まで流れてる流れが、元よりもおかしくなるはずですよね。
吉野 そうですそうです。
三宅 せっかく脚本を書いたのに、そこまで戻るのか……って、書き手はやる気をなくすわけです。
吉野 だからその前にプロットで叩くってことですよね。
三宅 情報量が少なければ少ないほど、本質に行き着きやすいわけだから、
吉野 その情報量が少ない段階で背骨を強化するとか、幹を太くするっていうことをやったほうがいい。
三宅 そう。もしかしたら、漫画教育の世界では、ネームの段階で「本質の発見」から「完成」までに到達しているのが当たり前になってるのかもしれない。ネームにはそういった流れや精度の高さをちゃんと落とし込んでから持ってきてね、その方が話が早いからっていう。それが、漫画の世界で求められている即戦力なんだとするなら、それにしては……という違和感が拭えない。
吉野 違和感?
三宅 それが「当たり前」にしちゃ、書けないってひと多くない? 悩むひと多くない? つまずくひと多くない?って。漫画人口が増えている中で、ストーリーに関する大事な技術が抜けたままデビューしちゃったとか、たまたまひとつ連載とれちゃったとか、まぐれ当たりみたいなことでキャリアを積み始めちゃったひとって結構いるんじゃないかと思ってて。ストーリーの語り部としての思考能力が身についてない状態で、とにかくネームを絞り出す。その絞り出したネームを前提にして、さらに細かいレベルで叩こうとして混乱する、みたいなことが起きてるんだったら怖いというか、もったいないと思っただけなんですけどね。
吉野 うんうん、そうですね(わかりみすぎる…‥)。


「実はプロットを書くのが苦手だった」


吉野 今日、改めてお話しながら、わあ、そうだ! って、ちょっと思ったことがあって。それは、担当してきた中で思い返すと、プロットを作るのが苦手だったひとは多かったなぁって。
三宅 わかります、僕もそうだから。プロットを書くのは苦手です。
吉野 あ、そうですか!
三宅 大っ嫌いです、プロット(笑)。
吉野 そうなのか(笑)。
三宅 今まで言ってきたことはなんだったんだっていう。
吉野 あはは(笑)。
三宅 いやだから、誤解しちゃいけないのは、プロットを良くするためにプロットを書いているわけじゃなくて、脚本を良くするために先にプロットを叩く。そのプロットを叩いてる中で、「いい脚本を描けそうな力」を手に入れられるのであれば、プロットを書く意味があるっていう話で。
吉野 うんうん。
三宅 一方で、プロットを書こうとするとやる気が削がれるっていうひとがいる。例えば、脚本にしたときにキャラクターがハネない、展開が飛躍しないっていうタイプのひと。そういうひとが、プロット段階をすっ飛ばして、いきなり脚本を書かしてくれ!って言うのも分かる。ぼくも本音ではそういうタイプだから(笑)。だけど、それはプロットを誤解してると思う、やっぱり。
吉野 誤解?
三宅 さっきも言いましたけど、プロット書くためにプロットを考えるんじゃないってことです。プロットを組む、プロットを練っていく、そのプロセスのなかで手に入れていく自分自身の感情のうねりや、登場人物の葛藤の流れが、結果的に脚本だったり、ネームだったりが、ハネたり、豊かになったり、力強くなる。そのためにやる作業なわけで。「プロットを書かなきゃ!」じゃないんですよ。それがテーマじゃないし、ゴールでもない。
吉野 そうか! 目的があるからプロットを書くんであって。どうでもいいことかもしれないすね、プロットの形式とかなんて。
三宅 そう。カタチは何でもいい。プロットを考える「という思考の流れ」が大事。
吉野 自分が納得してちゃんと点検できること、描こうとしてることがなんなのかってことどんどん突き詰めていくためのプロセスであって。
三宅 そうそうそうそう。
吉野 ちゃんとプロセス踏もうよ、と。でも、プロセス踏むのが義務とかそういう話ではなくて。
三宅 もちろんもちろん。だって、いちばん大切にしたいのは、ネームが書けなくなって苦しいっていうひとがいる、つまずくひとがいる、ってことなんだから。
吉野 そういうひとを助けたい、ストーリーでつまずく漫画家を!
三宅 それがテーマ。だからこそ、ネームをいきなり書かなきゃいいじゃん、って思う。ネームを書いたけど通らないとか、ネームが面白くないって言われがちなひとがいるんだったら、そのネームの前に原因があると考えてみては? 着想とか構想がおかしいわけだから、っていう。でもその構想の立て方っていうの知らなくて、いきなりネーム書いてるんだったら、それはずっとダメなネームが繰り返されてしまうんじゃないか。自分から苦しみのシステムに嵌まっていってんじゃないか。
吉野 着想とか構想がおかしいのかもと疑う!
三宅 それが必要。そもそもが、考えるためのプロットなのであって。
吉野 考えるためのプロット!
三宅 そのためにあるものだから。
吉野 プロットのためのプロットではない。
三宅 もちろん。
吉野 だんだん胃が痛くなるぐらいわかってきました。
三宅 いやいやごめんなさい、対岸の火事で勝手なこと言ってる。怒られちゃうかもしれない。お前、漫画の世界の何が分かってんだ!って。
吉野 いえ。僕は、やっぱりスクリプトドクターで脚本家で映画監督の三宅隆太というひとと本を作ってることには自覚的であって。僕は漫画編集者で、それはこの先も変わらないと思うんです。漫画制作への新しい目、ちがう角度から見た時に、「それ、おかしくない?」とか、あるいは「それって、こういうことだよね?」っていう指摘や、そこで語られることはありがたいですね。
三宅 失礼なことを言っているような気もするんです。プロの編集者を前にして。
吉野 いや全然。やり方はひとそれぞれっていうのは前提としてありつつも、「考えるためのプロット」で救われる漫画家や漫画家志望者は多いと思うなぁ……。
三宅 そういうひとの一助になれるとしたら、この連載は意味がありますね。うまくいくひとの話は全然しても意味がないというか。そういうひとはこんな連載は読まないだろうから。
吉野 あははは笑、いやいやいや、読んでほしい。
三宅 うまくいっているひとにも読んでほしい? そう? うまくいっているひとは読まなくていいんじゃないですか? うまくいっていないひとを助けたい。うまくいっていない状態、イコール「才能がない」という保証になんてならないでしょ?と思うんですよ、ぼくは。
吉野 うんうんうんうん。
三宅 ネームがうまくないから、って、そのひとが漫画を書く才能がないとは思えない。
吉野 うん!
三宅 それはその「前」が弱いだけなんじゃない?っていう。
吉野 プロットの構築。
三宅 そのひとのポテンシャルというか、本領を発揮したネームに、そもそもなってないんじゃないのっていう、傍から見てるとそんな気がどうしてもしちゃうんです。
吉野 そうすると本領ってなんだろうっていう話もなってきて。
三宅 そうね。
吉野 おっしゃる通り、「うまくいっていない状態、イコール「才能がない」という保証になんてならない」です。いろんな漫画があっていいと思っていて。だから、そのひとらしさを感じないネームだと「うーん…」ってなっちゃう。それっぽいネームにしようとしていない? とか思う。そのひとが「らしさ」を見極められないままネーム修正作業に入ってしまうのは、なんかちょっと待って、って。描きたいもの、さっきの話で言うと「核になるもの」、肝とか。そういうものの見つけ方が不得手のひとが多いのかも。
三宅 わかります。でも、僕らも何が書きたいかってのは打ち合わせだけで浮かばないときありますよ。書き出してみてわかることあるんだけど、その書き出してみてって言うのを、シーン1からこうなって、こういう場所でこういう動きがあって、このセリフがあって、って書いていたら分かんなくなると思うし、そもそも浮かぶ保証がないですよね、なんの確証もない。
だからプロットを書くんですよ。行って戻って行って戻ってって、思考を行き来させることができるから。脚本はもう、シーン1を書いちゃったらシーン1はそこで確定になっちゃうんで。
吉野 あ、そっか!
三宅 ネームのカット割りができている、コマ割りができているのとおんなじになっちゃうから。シーン2はシーン1に準じて書かなくてはいけないわけです。
吉野 組み立てですものね。組み立てていく流れで先に構造物を作っちゃう危険がある。
三宅 合理的じゃない気がする。システム的にも感情的にも。
吉野 組み換えが難しいし。後戻りができなくなっちゃう。
三宅 できるひとはいいんだけど。
吉野 そうですね。できるひとはわかっているからやっちゃう。
三宅 でもそこで出てくる問題が、「プロットってどう書くんですか?」っていう問題ですよね、たぶん。いつも絵で描いてきたから、いつもネームでいきなり描いてきちゃったんで、みたいな。
吉野 箇条書きですか? とか。
三宅 考え方なんでしょうね、大事なのは。書き方というより、ね。
吉野 プロットとは、考え方である。
三宅 漫画家のための、漫画家志望者のための、プロット講座みたいなものを、いつかやったほうがいいのかもしれないですね。もしかして。
吉野 もしかして。
三宅 いきなりプロット書いてつまずくひとがいるんだったら。その考え方みたいなもの、みんなが武器にできるようなものを伝えるような授業。
吉野 ドラマの考え方とか。
三宅 そうそう!
吉野 自分の肝とは何か。
三宅 そうですね。
吉野 あるいは「企画」ですよね。作品には企画があり、その企画が面白いのか面白くないのか……。
三宅 それを判断する能力を磨く。そんな講座。
吉野 必要だと思いますよ、僕は。そういうの。
三宅 必要ですか?
吉野 必要です!
三宅 そうか……。
吉野 ……決まりましたね(笑)。
三宅 え? ああ、このトークの締め方が?(笑)。じゃあ……ハイッ!ということで、1回目は「ネームを直すのって大変じゃない? 問題」について語ってみました!
吉野 それいただきます!



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【プロフィール】
三宅隆太/1972年東京生まれ。若松プロダクション助監督を経てフリーの撮影・照明助手となり、映画・TVドラマ等の現場に多数参加。その後、MVのディレクターを経由し脚本家・監督に。日本では数少ないスクリプトドクター(脚本のお医者さん)として国内外の映画・TVドラマ等の企画にも多数参加している。また東京藝術大学大学院では教鞭を執り、レギュラー出演しているTBSラジオ『アフター6ジャンクション』での映画談義などはリスナーから厚い支持を得ている。
主な作品に、映画『神在月のこども』『クロユリ団地』『劇場霊』『ホワイトリリー』『呪怨 白い老女』『七つまでは神のうち』等多数。TVドラマでは、現在ハリウッドリメイクが進行中の『デッドストック〜未知への挑戦』を筆頭に、『ほんとにあった怖い話』『怪談新耳袋』『ケータイ刑事』等のシリーズ、CGアニメ『シルバニアファミリー』特撮ドラマ『古代少女ドグちゃん』Eテレの教育ドラマ『時々迷々』バラエティ番組『ワールド極限ミステリー』ほか、ジャンルを問わず多くの作品で脚本を手がけている。スクリプトドクターとして参加した映画『浅田家!』は第44回日本アカデミー賞にて優秀脚本賞を受賞。
著書に『スクリプトドクターの脚本教室・初級編』『同・中級編』等がある。
Spotifyにてポッドキャスト番組「スクリプトドクターのサクゲキRADIO」を配信中。

吉野志郎/1969年東京生まれ。新書館のマンガ編集者。漫画の編集と並行して、三宅隆太さんの担当編集として書籍『スクリプトドクターの脚本教室』シリーズのほか、2016年に「スクリプトドクターのものがたり講座」(全10回)、2022年にオンライン講座「サクゲキRADIO課外講座・発想のための企画分析術」(全4回)などを手がける。


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