シンクタンクを失った日本

プーチン大統領は、情報機関トップなどの粛清を始めたという。調子のよいことばかりプーチン大統領に伝え、ウクライナ戦争を泥沼化させかねない現状に八つ当たりしてのこと。しかしこの状況、日本も笑えない。 https://t.co/SyjsLb3Mst

90年代後半から2000年代にかけて、官僚批判が巻き起こった。日本の行く末を、選挙で選ばれていない官僚が決めるのはおかしい、ということで、政治主導が叫ばれた。これには一理あった。バブルが崩壊した90年代、官僚は日本をどう導けばよいのか、迷走し続け、国力が低下し続けていたから。

官僚支配から政治主導へ。そのシステムが確立したのは、第二次安倍政権の頃。これにより、官僚は政治家のサポートでしかなく、あくまで政治を決めるのは政治家、という体制が確立した。ただ、この時、思わぬ事態が起きた。気に入らない官僚をどんどん左遷するということが立て続けに。

すると、官僚は必要と思われる情報を上に上げなくなった。耳に心地よい情報しか聞きたがらず、耳の痛い話を聞かされると、それを口にする官僚が悪いと考える政治家だらけになり、官僚は口をつぐむようになった。
もちろん、腹の据わった官僚もいて、直言した人間もいた。そして全員左遷。

菅氏が首相になった時には、もう直言する官僚はいなくなってしまった。菅氏は特にえこひいきが強く、気に入らない官僚はすぐ飛ばしてしまう。このため、ヨイショする官僚ばかりが幹部になるという現象が起きた。

若い有能な官僚達は、気骨ある幹部官僚がみな左遷される様子を見て、どんどん官僚を辞めてしまった。多くは外資系企業に転職したという。彼らの少なからずが日本という国のために働こうと誇りを持っていたのに、官僚を辞めて受け皿になってくれるのは外資系。なんとも皮肉。

厄介なのは、日本からシンクタンクが事実上消えてしまったこと。官僚は、戦後日本でシンクタンクとして機能してきた。それぞれの省庁の行政を担当する中で、現場の声を聞く仕事。このため、次にはこうした政策が必要だな、ということがよく分かる立場だった。

もちろん、東京にわざわざ出向いて陳情しにくる団体の声を現場の声と勘違いする問題もあったから問題がないわけではない。しかし県にも出向するなどして肌で現場を感じ、それを国の政策へと反映させるシンクタンクとして、官僚組織は機能してきた。しかし。

安倍政権、そして菅政権では、自分達に陳情しにくる人たちの声に重心を起き、官僚達が上げてくる現場の声が違うと、官僚達の報告を否定する動きが相次いだ。なおも現場のことを思い、声を上げる官僚もいたが、左遷させられた。これでは現場の声を上げることもできない。上げても聞いてもらえないし。

岸田政権はその反省を踏まえ、声を聞く、という方針に切り替えている。耳の痛い意見でも否定せず、まずは聞く、という姿勢に変わりはしたのだが、前政権までに気骨ある人間をみな左遷させ、上の意向に逆らわない人間を重用してきた副作用が、色濃く残る。それに、もはや若者は官僚を目指さない。

官僚は最高に魅力ある進路と捉えられ、東大法学部は官僚を目指してきたが、いまや官僚になりたがらない。その結果、東大法学部自体が人気を落とし、情報系の分野が人気あるという。気骨ある人間が、官僚を目指さなくなった。

シンクタンクを称する組織はもちろん日本にもある。しかしそれらの組織には、官僚達が抱えている「現場」がない。外に現れた数字のみで政策を考えざるを得ず、現場を把握することが困難。現場を知らないと政策もおかしなものになりかねない。

よくも悪くも、日本は官僚達がシンクタンクとして機能してきたが、第二次安倍政権以降、その機能が破壊された。そして、それに代替するシンクタンクはまだできていない。日本はしばらく、迷走する恐れがある。

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