本格的に不換紙幣化したお金

「MMTがよくわかる本」を読んで、それとハッキリとは書いていないのだけど。「お金の定義が変わるな」と思った。この場合の定義とは、人々がお金に対して持っているイメージ、と言い換えた方が適当かもしれない。
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E5%85%A5%E9%96%80%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E6%9C%80%E6%96%B0MMT-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96-%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E6%9C%9B%E6%9C%88/dp/4798060437

お金は、歴史的に「価値あるものと交換できる」ことを担保にして価値を保ってきた。たとえば1971年までは、アメリカの銀行に1ドル持って行ったら、それに相当する金の塊と交換してもらえる、というやり方(金兌換紙幣)だった。その時代のイメージを私たちは引きずっているところがある。

1971年8月15日、ニクソンショックが起きる。この時、金兌換紙幣が廃止され、お金はどんな価値のあるものとも交換を約束しない不換紙幣になった。とされている。しかし私はそう見ていない。このニクソンショックの時、切れ者がいた。キッシンジャー。多分彼が、次の仕組みを作った。

世界中どこに行っても、石油を買おうと思ったらドルでしか買えない、という仕組み。中東で石油を買おうとしても、ドルでしか買えなかった。円とか、ヨーロッパの通貨では買えなかった。このため、不思議なことが起きた。世界中の国がドルを欲しがるようになった。

なにせ、石油を買うにはドル札が必要。だから世界中がドルを余分に持とうとした(外貨準備)。ドルを手に入れるには、アメリカに何か商品を輸出して「これでドル札を下さい」となる。アメリカはドル札さえ印刷すれば、世界中からあらゆる商品を手に入れられるようになった。

アメリカが双子の赤字(政府の赤字である財政赤字、国全体の赤字である経常赤字)が巨額になっても平気だったのは、ドル札さえ印刷すれば世界中の国々が商品を持ってきてくれたから。世界中の国は、商品をアメリカに売ることで手に入れたドルで石油を購入した。

不思議なのは、なぜ石油は世界のどこに行ってもドルでしか買えなかったのか?それは、アメリカが「世界の警察」と称して、サウジアラビアなど主要な国々に巨大な軍隊を派遣していたから。怖くて、ドル以外の紙幣で石油を売ることができなかった。

アメリカは世界中に軍隊を派遣しにらみを利かせる→これによって石油はドルでしか買えない構造が維持される→アメリカ以外の国が石油を手に入れるためにアメリカに商品を輸出する→アメリカはドル札を印刷すれば世界中の商品を手にできる。
こうした構造が長らく続いた。

ところがイラクのサダム・フセインが、石油をヨーロッパの通貨、ユーロでも売ろうと企てた、と言われている。それが理由かどうかわからないが、湾岸戦争が勃発、フセイン大統領は死に、石油はドルでしか買えない構造が維持されるか、と思いきや。

クウェートやベネズエラなどが、ドル以外の通貨でも石油を売るようになった。こうなると、「石油を買える唯一の通貨、ドル」という地位を脅かされる。ドルは事実上の石油兌換紙幣として機能してきたが、その機能を失うことになったと言える。

ドルが世界唯一の石油兌換紙幣だった地位から脱落して、ようやくお金は、「価値あるものとの交換を約束されたもの」でなくなった。そんな状況がしばらく続いたうえで注目されるようになってきたのが、MMTということで理解したら、分かりやすいような気がする。

ドルが唯一の石油兌換紙幣であることをやめてから、お金は真に不換紙幣になってしまったわけだけれど、まだ私たちの中には、「価値あるものとお金はリンクしている」という感覚が残っている。真の不換紙幣を理解する感覚がまだ育っていないように思う。

ヒントになったのはビットコインの登場かもしれない。暗号を解読できたものだけが、限られたコインを入手できるという「希少性」だけでコインの価値を担保しようとした。これが思いのほか人気が出て、それなりに定着している。

「価値あるものと交換する」ということからかけ離れていいんだ、という認知を、一般の人に広げる役割を、ビットコインは果たしたように思う。ただ、ビットコインも若干、不換紙幣ぽくなくなってきたなあ、と思う。暗号の解読にものすごいエネルギーと手間をかけるようになったから。

暗号解読の計算にものすごい電気代を使うようなったことで、ビットコインの価値はエネルギーと結果的にリンクするようになった気がする。エネルギー兌換紙幣。あくまで結果なのだけれど、ビットコインはエネルギーの制約を受ける通貨になった感がある。

冒頭の本では、まずお金を政府が出すのだという。国民みんなが失業しないで済むように。そして、税金としてお金を回収して、お金をチャラにする(消滅させる)、と。この時、特にはっきりとは言われていないのだけれど、お金の価値を「想定」していることに気がつく。

人一人が働くには、これくらいの賃金が欲しいよね、とか、この商品を買うにはこのくらいのお金を支払ってもらわないとね、という価値。これを政府は想定して、お金を発行することになる。無言のうちに、お金は労働や商品という価値と結びつけて考えている。

いや、労働ではないかも。むしろ「消費」かも。人が生きていくのにこれだけのお金がないと生活できないよね、そのお金を使ってこのくらい消費しないと生きていけないよね、という消費。その消費とひもづけた思考が、MMTのお金の発行にはあるような気がする。

まあ、多くの人は消費者であると同時に労働者でもある。生きるためには食べなきゃいけない。食べるということはお金を出して消費しなきゃいけない。そうした消費される商品を提供するには、誰かが働かなきゃいけない。消費と労働は、常に一緒に発生するものと考えてよいかも。お金持ちは働かんけど。

MMTのお金は、労働者の労働、あるいは消費に価値をひもづけている気がする。明示的ではなく、インフレとか起きたら想定していた価値でお金を使ってもらえないわけだけれど。少なくとも政府が発行するその段階では、「つもり」があるように思う。

ただ、MMTでジャンジャンお金を出せばいいんだ、という一部の意見、やっぱり合意できないな、と思う。たとえば「時給100万円上げるから、たった今、目の前でこの1時間で100万円の価値のある労働をやりおおせてくれたまえ」と言われても、できやしない。それと同じことが日本全体で起きかねない。

日本は少子高齢化で、働く人が徐々に減っていく。若者が減って年寄りばかりになれば、日本全体で提供できる労働力は年々小さくなっていく。そんな状況で「バブルの頃の2倍のお金を出すから、バブルの頃の2倍働け」と言われたって無理。提供できる労働力に限りがある。

お金は、刷れば刷るほどみんなが豊かになる、というものではない。ミダス王は金が好きすぎて触るものみんな金になる魔法をかけてもらったけど、食べ物まで金に変わって飢え死にしそうに。そう、金やお金は価値あるものと交換できるから価値があるのであって、それそのものに価値はない。

私たちが豊かになれるかは、
・労働力が十分提供できる
・労働力をうまく活かせる
時。しかし今の日本では、労働力が減っていき、労働力を価値ある分野に配分しようとしても足りない。困った状態。そんな状況でお金の果たす役割とは。

労働力が限られていることを踏まえたうえで、価値ある分野に労働力が配分されるよう、お金の送り先を考え、しかしそっちにばかり労働力が行かないよう、大切な分野にもお金を回す、という、「労働力の配分先を決める」という役割が担わされている気がする。

たとえば介護の分野にたっぷりとお金を出すと、若い人はこっちの方が儲かる、となって、大企業を辞めて介護職に就くかもしれない。すると、大企業は輸出する商品がなくなり、外貨を稼げなくなり、食料を輸入できなくなり、日本人の多くが飢えるかもしれない。

お金の出し方は、産業構造を左右する。お金は無制限に出してよいものではなく、賢く、慎重に配分する必要があるだろう。

ただ、私もまだよくわからんので、4月1日の青木秀和さんの勉強会で、いろいろお訪ねするつもり。お金をどうデザインしたらよいのか。これは非常に重要な問題。不換紙幣となったお金をどう扱うかは、人類の活動を左右するので、ゆるがせにできない。


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