「観察」考

「観察」考

shinshinohara

子育てで何より大切なのは観察だと思うのだけど、この観察が意外に難しい。私たちは見たいものしか見えないから。
異形が堂々と通り過ぎる動画なのに、別ごとに注目するよう言われると気づかない、という体験を、とある講演で味わったことがある。私たちの観察眼は、見たいものしか見えない。

これまでも「虚心坦懐に観察する」と述べてきたけど、案外これも実行が難しい。ひどい場合は見てても呆然としてしまって何も気づかない、観察してない結果になりかねない。観察というのはある程度、意識が強い領分で、無意識はちょっと立場的に弱いらしい。意識が「こうだ!こう見える!」と訴えると、無意識は黙っちゃう。

ただ、無意識による観察もバカにならない。温室に入った瞬間「ん?トマトに元気ない?」と感じることがある。どこがどうだから元気がないと感じるのか、自分でも分からないけど元気のない気がする。気のせいか、と思ってたら、3日ほどたつとはっきり症状が出てきたりする。無意識は何かを見てる。

無意識が訴える違和感は無視しない方がよい。何を無意識が感じてるのかはっきりしない場合、ともかくいろんな細部を丁寧に観察して「今」の状態を記憶しておき、どれかに変化が起きたらすぐに察知できるようにしておく。そのとき、観察ポイントをともかくたくさん作ること。え?というくらい。

観察ポイントを増やすには、実は経験が必要。それも、成功体験ではなく、なるべくなら失敗体験。あの時、これに気がついていたらもっと早くに察知できたのに、という悔いがあればあるほど、観察ポイントが増える。今度こそ変化を見逃すものか、という悔いが、観察ポイントを増やす。

他方、観察を曇らすのも経験。ただしこの場合、どんな経験かというと、成功体験。「こうすればうまくいくんだよ」というドヤ顔の気持ちがあると、うれしくなって五感からの情報がシャットアウト。ともかくドヤ顔したくて仕方なくなる。

でもこれはある程度仕方ない。ドヤ顔したくなるのも人間。けれど、ドヤ顔してたら大切な観察ポイントを見逃し、大失敗したという体験があるのも人間。早とちりせず、必要な観察ポイントを一つずつチェックすることを怠らないようにしたい。自分の観察眼が曇ってないか、それを観察するポイントも必要。

同じものを見るのでも、「視座」を変えると違って見える。以前、Twitterで話題になってたけど、「水の入ったコップ」を、理科、数学、国語、社会で観察するだけで全然見え方が違ってくる。

理科なら「液体状のH2Oがケイ素でできたガラスに入ってる」。
数学なら「容積200mlのコップに120mlの水が」。
社会なら「浄水場で殺菌された水が、○○県のガラスメーカーによって製造され、△という小売店で売られていたコップに」。
国語なら「蛇口からキラキラと注がれた水は、冷たいガラスに口をあてるとのどを潤して」。

同じ「コップの水」でも、国語数学理科社会で見え方、観察から得られる情報がまるで違う。質的にも量的にも。こうした「視座」の変更で観察すると、得られる情報は相当豊かになる。

だから観察というのは、ある特定の見方、見え方だけで済ますものではない。視座を変え、見え方を劇的に変えて観察することが大切。
似た言葉で「視点を変える」という言葉がある。しかし視点をいくら変えても、自分の考え方、感じ方が変わらないと、どれを見ても元々持ってる考えを補強するデータしか見えない。

だから、自分の見え方、感じ方を変える、いろんなモードに切り替えて観察する「視座を変える」をお勧めしたい。すると、同じものを観察しても全然違う見え方になる。視点を変える以上に、同じものを見ても違う見え方になる「視座を変える」を意識し、様々な視座に乗り換えた方がよい。

息子が生まれて2、3ヶ月の頃、YouMeさんや義父母が心配そうに相談してた。赤ちゃんがミルクを飲んだ後、顔を真っ赤にしてむずかってるという。体調が悪いのだろうか、熱はないようだし、だけど明らかに不快そう、と心配。ゲップはした、ミルクはたくさん飲んだ、と、一つずつチェック。

私は、昨日と今日の差異として、赤ちゃんが厚着なのに気がついた。その日は前日と違って急に冷え込んで、大人も厚着をしていた。赤ちゃんも寒かろう、と思って、重ね着させてた。
「暑いのかも?」みんなまさかと言うけれど、試しに一枚ずつ脱がしていくと、肌着だけになったところでスヤスヤ。

「暑かったんかい!こんなに寒いのに!」と、みんな驚き。私もさすがに肌着一枚でちょうどよいなんて思わなかったけれど、赤ちゃんはそのくらいが快適な顔をしてたので、しばらく様子を見守ることに。結局その日からしばらく寒かったけど、肌着一枚でちょうどよかったみたい。

こんなに寒いんだから赤ちゃんも寒いに違いない、と大人は思うけど、赤ちゃんは、子どもによっては相当な暑がり(個体差大きいと思われるが、うちの子は二人とも暑がりだった)。赤ちゃんがどう感じてるかは、赤ちゃんを観察し、赤ちゃんから教えてもらうしかない。

観察は、あくまで「仮説」を立てるためであり、「正解」はどこにあるのか分からない。仮説を立て、試してみて、違っていたらまた別の仮説を立てて試す、という試行錯誤の出発点にするもの。答えのない状態に、受験勉強をしてきた世代はなかなか耐え難いが、この世のことはだいたい正解が分からない。
正解が分からないなら、観察し、試行錯誤を繰り返すしかない。

実は、赤ちゃんは観察がものすごく上手。小学校就学前の子どもは観察がとてもうまい。
たとえば赤ちゃんは、玩具を決められた遊び方だけでなく、かじったり叩いたり投げたり、どんな音が鳴るのか試したり、実に様々な視座から観察する。

赤ちゃんは五感を通じたこうした観察から、木材はどんな味とにおいがするもので、硬さと触感はどんなもので、落ちるとどんな音がし、プラスチックだとどの程度の衝撃で割れるのか、ということを体感的に学ぶ。赤ちゃんは、実に様々な視座から一つのものを徹底的に観察する。

だから観察するときは、むしろ赤ちゃんに戻った気になって、ありとあらゆる感覚を用いて観察するのが望ましい。温感、触感、嗅覚、聴覚、視覚。危険がないように気をつけつつ、ありとあらゆる方法で観察する。頭で考えず、身体で感じ取る。

そうした「観察」を重ね、経験を積むと、観察眼が磨かれる。成功体験のドヤ顔には気をつけ、むしろ新感覚を探し、それを見つけたら喜ぶ、という形で、「視座」を増やすことに意識をシフトさせた方がよいと思う。するとトシをとっても観察眼は磨かれていくのではないか、という仮説を持っている。

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