期待を手放すこと

「ためしてガッテン」にお坊さんが登場。喫茶店でコーヒーを頼むが、この店、番組の仕込み。「かしこまりました」と言って数分たち「お客様、オレンジジュースでしたっけ?」と、注文を聞き直すことを繰り返し。いつ怒り出すかというたちの悪い設定。ところが。

何度聞いても「ホットコーヒーです」と笑顔で返し、怒る様子がないので、とうとう番組スタッフが仕込みであることを明かし、「なんで怒らなかったんですか?」と尋ねると、「他人のやることは自分にはどうしようもないから」と答えた。私はへええ、と思った。

野球選手の松井秀喜選手が、マスコミからいろいろ叩かれていた頃、記者からそのことについて質問された。すると松井選手は「マスコミの方たちが何を記事になさるかは自分にはどうしようもない。僕は自分にできることをするだけ」と言って、私はまたへええ、と感心した。

上座部仏教の本を読むと、腹が立つ感情は、自分にはどうしようもないことに「期待」してしまうことから発生する、と書いてある。しかし具体例が書いてないからピンとこなかった。お坊さんが何度注文聞き返されても怒らず、松井選手がマスコミに叩かれても動じない様子を見て、ようやく得心。

「期待する」の逆は「期待しない」なわけだけど、ここで注意が必要。自分にはどうしようもない他人に対し、「期待しないように」すると、どうしたわけか「どうせ他人はアテにならねえ」と見下したり、やさぐれたり、皮肉っぽい姿勢になることが多い。しかしお坊さんも松井選手もそれに程遠い。

多分お坊さんは「自分にはどうしようもないことだけど、コーヒー間違わずに持ってきてくれたらうれしいな」と、祈る気持ち、松井選手は「自分にはどうしようもないけど、面白おかしく書きたてるんじゃなくて、プレーを書いてくれるようになるといいな」という祈りめいた姿勢があるように感じられた。

私たちはどうも、「期待する」となると、他人のことなのに「自分の思うとおりに動いてくれるに違いない、そうじゃなきゃ怒るよ」という気持ちになり、「期待しない」となると、「私の期待通りに動かないから私は怒ってしまった。後悔するがいい、そして涙を流して私に謝罪しなさい」という気持ちに。

おじいちゃん大好きな孫娘がふとした拍子に怒り出し、「もうおじいちゃんとは遊んで上げない」と言った。この言葉の裏には「おじいちゃんは私と遊ぶのが大好きでしょう?なのに私の期待通り動かないからこんな悲しいことになるのよ。悔い改め、謝罪しなさい」という気持ちがよく現れている。

子どもはしばしば大人に対し、自分が期待することで大人は喜び、期待しないというのは大人が悲しむこと、と考えている。期待はプレゼント、というわけ。この思考法は、やがて学校の集団生活をする中で、他人が全くこちらの思惑通りに動かないことを痛感して改めるのだけど、「根」が残る。

「期待する」は、相手も喜ぶプレゼントであり、「期待しない」は、自分との関係が断たれる絶望的な悲しみに叩き落とす懲罰。そんな心根がどこかに残る。期待すれば自分の思い通りに大人は動く、という、赤ん坊や幼児期の、泣いたら大人が慌てて動いてくれた成功体験が染み付いているのかも。

幼児期までに染みついた「自分が期待すれば大人(他人)はその通りに動く」という想定をいかに手放すか。お坊さんは修行する中で見つけたのだろうし、松井選手はプロとして生きていくのに、マスコミを期待通り動かすことはムリだと達観せざるを得なかったのかもしれない。

私たちはしばしば、自分の期待で自分を苦しめる。もはやどうしようもないことなのに「あの時ああしてればこんなことにはならなかったのに」と、もしかしたらあり得たかもしれない自分の姿と今の現実を比べて、自分は不幸だと嘆く。どうしようもない期待をして自分をいじめ抜く。

日本でのパラリンピックを推進したお医者さんは、腕や足の機能を失った障害者に対し「失ったものを見つめるのではなく、いまあるものを活かしなさい」というようなことを言ったらしい。どうしようもない期待と比べて今の自分をくさすことへの警告が、ここでも見てとれる。

自分にはどうしようもないことに期待をかけるのは、ただ自分を苦しめるだけ。けれど、自分にどうにかできることを工夫し始めてみると、意外にたくさんの工夫が可能であることに気がつく。どうしようもないこと考えてるより、今、できる工夫を考えていた方が楽しい。

映画「ライフ・イズ・ビューティフル」では、底抜けに明るい主人公がナチスによる迫害で絶望的な環境に置かれる中、息子には「隠れん坊だ、最後まで隠れることができたら戦車に乗れるんだ」と、何でもゲームにする工夫で、楽しく過ごせるようにしてしまう。ここまでいくと人生の達人。

そんな達人まではいかなくても、自分にはどうしようもないことに期待するのをやめ、自分にできることから、工夫を始め、その試行錯誤を楽しむことを心がければ、自分の心を無闇に切り裂くようなことをせずに済む。自分にできることだけでも、相当なことができることに気がつく。しかも限りがない。

自分にどうしようもないことは考えず、自分でどうにかしようがあることだけ考える。それも変に結果を期待するのではなく、試行錯誤、工夫そのものを楽しむ。それだけで世界の見え方はずいぶん変わってくるもののように思う。

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