農協マネーを欧米に差し出すための布石

こういう記事がそろそろ出てくるだろうと思っていたら案の定。
https://www.newsweekjapan.jp/mobile/reizei/2024/08/post-1363_1.php?fbclid=IwY2xjawE88BZleHRuA2FlbQIxMQABHRegVFIbRRSphNXoIefI7vCoR9IJwXLxiHaC_qh6CPl_BHx4aXvGbKALfw_aem_aoGNxaLnHGhG28u1uzRvCw
アメリカに農協マネーを差し出すための布石が打たれようとしているなあ、という感じがする。
なぜそう思うのか、少し述べてみたいと思う。

この記事は、以前、小泉進次郎氏が進めようとした農協改革は正しかったが中途半端に終わったので、もし総理大臣になったら改革を今度こそ実現すべきだ、ということを暗ににおわせている。しかしそもそも、小泉氏の進めようとした改革は本当に日本農業のためになるのか?

記事では、農林中金が農業に対して0.1%しか融資していない、世界中で資金を運用することばかり考えている、という当時の小泉氏の批判をそのまま正しいとしている。しかし、この小泉氏の批判は、農林中金の果たしている重要な機能を無視している点で、非常に危険。

農林中金は、その資金を世界中で運用することで上げた利益を、農協の赤字補填に使っている。このおかげで農協は、農家に対して補助金を出しているような格好となっている。国が十分に出してくれない補助金を、農林中金が補っている。金融機関が、農業に補助金!なんと気前のよい!

記事では、投資に失敗して赤字が発生したことを批判しているが、よく言われるように失敗はつきもの。けれど、長期で見るとしっかり利益を上げ、その利益を農協への「補助金」として差し出しているのだから、私には何が問題なのかわからない。

ただ、誰にとって問題なのか、私にはなんとなく想像がつく。農協マネーは、欧米系と異なる独自の巨大マネーとして、世界でも存在感がある。こんな存在、欧米資本からしたら目の上のコブ。できれば弱体化させたいし、何なら自分たちの勢力圏内に入れてしまいたい。つまり自分のものにしたい。

それには、日本人自身に農協批判の嵐を起こしてもらい、農協マネー、つまり農林中金を弱体化させてもらうのが吉。そうしたら自分たちの手を汚さずに済む。「農業への投資を増やせ!」というのは、一見妥当な意見に見える。しかし儲けを出しにくい今の日本の農業界で、その実現は困難。

「改革が進められないのは既得権益層が組織を牛耳ているからだ、株式会社化して適切なマネジメントが行われる組織に改革せよ」という批判の声を日本人自身に行わせれば、農林中金は農業投資を増やすこともままならず、国民の批判にも耐えきれず、国が主導する改革を飲まざるを得なくなるかも。

そして、欧米資本が農林中金の株式を持てば、事実上の傘下に収めることができる。わずかな資金で農協マネーを封じ込めることができる。自分たち欧米の思いのままにならない巨大マネーを、目の上のたんこぶを一つとり除くことができる。

これと同じことが行われた疑いの濃いのが、郵貯マネー。郵貯マネーは農協マネーと並び、欧米資本にも負けない巨大マネーとして、世界金融の一翼を担っていた。この郵貯マネーを欧米の意向に逆らえないものにしたい、そのために行われたのが、小泉改革だった、そんな疑いがある。

小泉進次郎の父親、小泉純一郎氏は郵政民営化を掲げ、自分に逆らうものを「既得権益層」として攻撃し、この痛快な言葉に酔った日本国民は、少なからずが一緒になって郵政を批判し、その批判に抗しきれなくなった郵政は、改革を飲まざるを得なくなった。

するとどうしたわけか、アフラックというアメリカ資本が郵政の中に滑り込んだ。がん保険をやるなら別に日本の生命保険会社でもいいはずなのに、なぜアメリカ資本?でも、これによりアメリカ資本が、郵貯マネーに一定の手綱をはめることができるようになった。

小泉進次郎氏にやらせようとしているのは、父親が郵貯をアメリカに差し出させたのを、農協マネーで再現させようとしているのではないか。そう考えると、進次郎氏がなぜ的外れな農林中金批判をしたのかが理解しやすい。農林中金が儲けて、農家に事実上の補助金を出すことの何が悪いのか?

一見正しそうな意見に見える発言をして国民批判を巻き起こし、日本人自らが改革に乗り出した格好をとって、事実上、欧米資本の傘下に下らせる。それが狙いだとすれば、私は非常に危険だと思う。まあ、この辺は私の邪推。邪推だから証拠は不十分。不十分だけど、大いに警戒すべきだと思う。

もう一つ、記事では、日本農業が補助金漬けだと指摘している。しかしちょっと待て。欧米の農家は補助金漬けやないか。まるで欧米は補助金を一切受け取っていないかのようなフリをして、補助金漬けを批判するというのはちょいとズルくないか。

ヨーロッパ各国、とくにイギリスやドイツなんかは、世界大戦がはじまる前、アメリカなどの農業大国から食料を輸入すればいいや、と考えていた。アメリカの穀物は安かったから、買った方が得だったからだ。ところが二つの世界大戦で食料が輸入できず、ひどい飢餓を経験した。

もう二度と飢餓はご免だ、と考えたヨーロッパ各国は、自給率をいずれも高めた。花と野菜しか育てていないように見えるオランダでも食料自給率(カロリーベース)は65%、イギリスも70%ある。これだけの自給率を維持できている理由が、補助金。

ではどんなふうに補助金を出しているかというと、例えばフランスの場合、事実上の輸出補助金を出している。フランスの小麦農家は、小麦を国際価格で販売するのだけれど、その価格では生活できないから、不足分の所得を政府が補助している。その割合、なんと90.2%。

日本には、こうした手厚い所得補償はない。政府が出す農業への補助金は、温室を建てるとか機械を購入するとかの購入時の補助金で、農家の所得を補ってくれるものではない。だから、日本の補助金は農家の収入を潤してくれるわけではない。欧米は潤してくれるのに。

こうした事実を言わないで、まるで日本の農家だけが補助金まみれであると批判するのは非常にバランスが悪い。先進国はどこも、農業に手厚い補助金を出しているのだから。なぜか?自国で食糧危機が起きないようにするためだ。

もし安易に補助金批判を日本国内で強め、補助金を減らしたら、補助金をもらって収入を補っている欧米の農業よりもずっと日本農業は弱体化するだろう。補助金をもらうから日本農業は弱体化するのだ、という批判は、実は大いに問題がある。

実は日本の農家の中でも、補助金を政府からもらうことに批判的な人がいる。この人たちは野菜や花など、腹の膨れないものばかり作っていることに注意。コメや麦などの穀物を生産している農家は、補助金なしにはやっていけない。これは欧米も同じ。なぜなのか。

「ないと命にかかわる作物は、べらぼうに安くなる」という、奇妙な経済の仕組みがあるからだ。なぜそんなことになるのか、水の値段で考えてみよう。
水は足りないと命にかかわる。だから余分に確保しようとする。しかし余分に確保しているということは、市場経済で言えば在庫のだぶつき。

「余っているんだろ」と市場に見抜かれると、値段がべらぼうに安くなる。このため、水はタダみたいな安い値段になってしまう。しかし水は足りないとなると死んでしまうから、不足した場合は極端な高値になる。金銀財宝を山と積んでもコップ一杯の水が欲しくなる。

このように、命にかかわる商品は、市場経済に乗せるとバカみたいに安い値段か、バカみたいに高い値段かの両極端になる。政府は、足りないと国家が危うくなるから余分を確保しようとする。だから在庫がだぶついていると見られて、安い値段で売買されることになる。

コメや麦といった基礎食料は、水と似たような価格形成をする。足りなければ命にかかわるから、余分を確保しようとする。そうすると在庫がだぶついていると市場に見抜かれて、安い値段になってしまう。でも本当に足りなくなったら、バカみたいに高くなる。

このように、コメや麦などの穀物は、命にかかわる基礎食料だから、凶作になるのでもない限り、非常に安い値段に据え置かれがち。だから、コメなどの穀物で儲けることは非常に難しい。だから欧米も、穀物農家には所得補償という形でしっかり補助金を出している。

コメなどの基礎食料を作らず、野菜や花などの「腹の膨れない」商品を作っている農家は、「命にかかわらない商品」を作っているから、市場経済に乗せても、変に在庫をだぶつかせないように気をつければそこそこの価格で売れる。足りなくても他で代わりが利くから、在庫をなくしてもあまり批判されない。

このため、穀物を作らない農家は、そこそこの値段で商品が売れるから、補助金をもらわなくても生活できる。そうした立場の違いを考えずに、穀物農家は補助金をもらい過ぎだ、と批判することは、ちょっと慎重になった方がよいと思う。相手の立場を理解していない発言と取られて仕方ない。

ずいぶん長くなってしまったけれど、進次郎氏がかつて進めようとした農協改革は、残念ながら的外れだったと言えると思う。もしあの方向性のまま農協改革を進めたら、恐らく農協マネーを欧米資本に譲り渡すような結果に陥っていただろう。果たしてこれは日本のためになるのだろうか?

農協マネーが海外で稼いでくれることで、その稼ぎを農業に投じてくれることで、日本農業は踏みとどまっている面がある。この機能を破壊することが、果たして日本のためになるのだろうか?自ら自殺しに行くような改革ではないだろうか。ここは慎重に考えなければならない。

また、補助金漬けという批判も、上述したようにいろいろおかしい。むしろ欧米を見習って、所得補償の形の補助金スタイルを考えてもよい時期かもしれない。補助金の出し方に改革は必要かもしれないが、補助金を単純に減らすことは日本農業だけを弱体化させかねず、危険。

なのに、冒頭の記事のようなのが「日本人の手で」出てくることに、関心が湧く。筆者の冷泉彰彦氏ってどんな人?と思ったら、アメリカ在住らしい。あー・・・。なんか、思っていた通り過ぎて。

もし私が欧米の為政者だとしたら。「かつて農協改革の急先鋒だった進次郎氏が首相になれば、旧態依然とした農協、既得権益層の農家を叩き潰してくれるだろう」という記事をバンバン書かせ、日本に農協批判の声を上げさせるだろう。

そのためには、日本の広告を握っている電通などに働きかけ、そうした記事を増やしたり、テレビ番組を作らせたり運動するだろう。そうして日本で農協批判が巻き起こるようにし、日本人自らが「改革」という名の農協解体を進めるよう、上手く誘導したくなるだろう。

もし農林中金が株式会社化したら、その株を一定割合持つだけで、農林中金を事実上飲み込むことが可能。ここまでの流れを日本人自身に作らせれば、欧米の手を汚さずに濡れ手に粟の利益を得ることができるだろう。もし私が、欧米の為政者や資本家なら。

今回の記事は、進次郎氏に農協改革をやらせる機運を高めさせるための、走りになるものではないか、と、若干疑っている。私はその勢いに水をかけたい。農協と日本農業は改革は必要かもしれないが、その方向性は明らかに的外れにしか思えないからだ。

日本は、自ら農業を弱体化させる方向に進むべきではない。改革を進めるなら、現場をよく知り、どんな手を打つのが適切か、よく見極めながらでなければならない。思いつきのアイディアを現場に押し付けるようなおっちょこちょいは厳に慎んでいただきたい。

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