読書してもわからなくて構わない

知識を身につけようと本を読んでも理解できない、と言う人が。私は「わからなくてよいのでは」と答えた。だって、わからないのは、今わかろうとしてもムリ。今、その本から読み取れるものだけを拾えば十分だと思う。わからないところはわからないまま置いといてよい。

私は老荘思想、特に「荘子」に衝撃を受けたけど、自分が何にどう衝撃を受けたのか言語化できなかった。何に心揺さぶられたのか?揺さぶられた内容を日常生活に生かすにはどうしたらよいのか?言語化するのに10年以上を要した。何かがそこにある、と感じても、理解するにはそれだけの時間がかかった。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」を読んだ時も、これは子育てに重要なことを書いてあると感じたけど、なぜそう感じるのか、何を感じたのか、最初は言語化できていなかった。日常生活で「これは関係してる現象では?」と思うのだけど、なぜそう思うのかを全然言語化できなかった。

歴史上最大の大天才であるはずの孔明が天下をとれず、孔明より、また、関羽、張飛、超雲などの豪傑よりも明らかに能力が劣る劉備玄徳がなぜリーダーたり得たのか、わかる気もするけどなぜなのか、言語化に時間がかかった。実に三十年も考え続けたことになる。

私は、いわゆる読書家と比べると読んでる冊数は少ない。ただ、ひっかかりを覚えた内容、わかったようなわからないような、でも大切なことであるらしい、と感じることをどうやったら自分の言葉に置き換え、理解できるか、という作業をするのが大好き。まあ、そうしないと理解できないからなんだけど。

読んでも理解できない。理解できないんだけど、日常生活の現象で「似てる気がする」と思ったら、なぜ似てると感じるのか、考える。漫画の1シーンが「あの本の内容に近い気がする」と感じたら、粗雑でもよいから言葉にしてみる。そうした作業を読後にやるなら、わからなくてよいと思う。

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