「不動心」の勧め―哲人皇帝マルクス・アウレリウスの教え
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「不動心」の勧め―哲人皇帝マルクス・アウレリウスの教え

真成@哲学者🎈

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1.記事の要約

ストア派の哲人マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』は、苦難の時代を生き抜くための智慧に満ちた思索である。

2.論考

後期ストア派の哲学者、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、帝政ローマ時代における五賢帝の最後の皇帝にして、『自省録』の著者として有名である。

アウレリウス帝はまた、プラトンの理想国家における哲人王の理想を、現実において体現した、稀有な事例としても知られている。(プラトンは、『国家』篇において、哲人王による国家統治の国制が理想の国制であると考えた。)

アウレリウス帝が、解放奴隷出身のストア派の哲人エピクテトスを敬愛したように、ストア派の教説では、奴隷や皇帝などの身分や立場は、人間としての賢愚、尊厳にはかかわりない。

ストア派の教説では、大いなる自然は、ロゴス(理法)に貫かれており、人間も、ロゴスの種子に預かるものである。人間もまた、大いなる自然の一部である以上、ロゴス(理性)を宿している。人間の内なるロゴスこそが、人間にとっての自然にほかならない。

ストア派の賢者は、自然に一致し、理性的な生き方を体現する存在である。万物をあるがままに把握し、情念に囚われることなき、曇りなき眼(まなこ)をもって、自己と世界の因果の法則を把握するとき、はじめて賢者の「徳」が実現する。ストア派は、賢者のアパテイア(不動心)の境地を理想とした。アパテイアとは、パトス(情念)を脱している(脱情念)という意味である。

しかし、世界が因果法則によって貫かれているという教説は、努力を放棄した運命論ではない。自分の「自由になること」と「自由にならないこと」を厳しく区別して、自分の自由になる心を、徹底的に統御しようとする克己思想にほかならない。

例えば、人間は、自分の心は支配できる。しかし、他人の心は支配できない。しかし、愚かな人間は、自分の心を変えようとせずに、他人の心を変えようとする変えられるものを変えずに、変えられないものを変えようとする。これこそ、情念に囚われ、万物の必然性を洞察できていない愚かさの証明である。この指摘は、現代人の我々にも、同様に当てはまる。人間は、認識力において、あるいは、道徳性という点において、必ずしも進歩しているとは限らない。

アウレリウス帝は、戦争のさ中にあって、ただ自己自身に向けて、言葉を紡いだ。自己に対し、「君」と呼び掛けて、自己との対話を記録した。その内的対話の記録が、現在『自省録』として遺っている書物である。

アウレリウス帝は、戦争における勝利ではなく、自己自身との勝利の中に、真実の「人生の勝利」を見出した。瞑想を好み、哲学的な観想的生を求めたが、彼に与えられたのは、皇帝としての責務であり、休むことなき、戦いの日々であった。

しかし、この世は「仮の宿り」に過ぎない、いずれ自然の過程として、死は必然的に到来する。その日、その時まで、己が責務を全うせよ。人間は、惰眠をむさぼり、快楽を享受するために生まれたのではなく、理性を行使して、己が責務を全うするために、義務として生まれたのだ

アウレリウス帝の言葉は、現代人にはあまりにもストイックすぎて、ついていけないように思われる。しかし、彼の諦念に満ちた克己の言葉は、人生の苦難と格闘している当事者にとっては、不思議な慰めと励ましに満ちている

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真成@哲学者🎈
広く「学ぶ」こと、「表現」すること、「伝える」ことが、趣味・生きがいです。 普段は哲学研究をしておりますが、カウンセリング技法等を学ぶ過程で、セラピーに関心を持ち、実践するようになりました。ココナラ: https://coconala.com/users/2824868