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【15日目】しんさい工房 ‐モテ期‐

僕が初めて買ったCDは、TRFの「CRAZY GONNA CRAZY」だった。

音楽というものは不思議なもので、何度も繰り返し聞いていると、自然とその曲を覚えて口ずさめるようになる。

お経というものは不思議なもので、何度も繰り返し唱えていると、自然とその経を覚えて読めるようになる。

僕は中学1年生の秋ぐらいには、メインどころのお経はほとんど暗記していた。
普段読むお経は、経本(歌詞カード)がなくても読める程度だ。
これだけ毎日お経を読んでいたら、特に意識をしていなくても自然と覚えてしまう。
周りの友達が、SPEEDやGLAYを口ずさむのと同じように、僕は毎朝お経を口ずさんでいた。
これまでの人生で一番聴いて一番歌った曲が何かと聞かれれば、それは「般若心経」だろう。

中学生の段階で出家をしている人というのは、結構めずらしい方であった。
そのためか、学校の女の子には一切モテなかったが、お寺方面ではモテにモテた。
特にお年寄り層においては、綾小路きみまろさんに匹敵するぐらいの人気ぶりだった。

お寺では定期的に行事みたいなものがある。
お彼岸やお盆などに、お寺でやっている法要だ。
僕の師匠は前にも書いたように、うちの宗派の取締役副社長的存在であった。
曲がりなりにも、僕はその方の弟子である。
段々とその法要にも呼ばれるようになり、他のお坊さんたちに紛れて一緒にお参りをする機会が増えた。
この時に一番困ったのは、全てがぶっつけ本番だったことだ。

周りに合わせて動け

父親が教えてくれたのはこれだけだった。
毎回がプレッシャーだ。

その場にはいつも10名程度のお坊さんがいた。
所作というものは、みんなが揃っているから美しい。
法要は、ある意味地上のアーティスティックスイミング(シンクロ)。
数秒のズレがこの美しい空間を壊してしまう。
僕は常に周囲に意識を向け、人の動きに合わせて遅れを取らないようすぐに行動しなければならなかった。
ゼロコンマ数秒の世界で僕は戦っていた。

また、お経には曲名みたいなものがある。
始まりはいつもこの曲名を読み上げるスタイルだ。
そのお経の曲名を誰かが読み上げている間に、お経の出だしを思い出したり、胸元に忍ばせている経本(歌詞カード)でそのお経を探したりしながら、出だしを揃えられなくてはならなかった。

なかなかハードだったし、もちろんうまくいかないこともあった。
けれど、僕はこの経験から、人のやっていることを見て盗む習慣と順応性を身に付けた。
僕は大学時代に人材派遣のアルバイトをしていて、本当にいろんな現場に行かせてもらった。
どんな業務であっても、ほとんどの現場から2回目以降の指名をもらえたお陰で、仕事には困らなかった。
これもこのときの経験が役に立っていたに違いない。

小学校時代の勉強のできなさから危機感を覚えた僕は、これまでを挽回するかのように勉強をするようになった。
少しずつわかることも増え、勉強自体が楽しく感じるようになった。
特に僕は数学が好きだった。
でも、周りの友達には数学が苦手な人が多かった。

お坊さんになるかならないかについては、この先の話だからいまは結論を出さなくていい。

そう言われていた僕は、密かに数学の先生になることを夢見ていた。
数学は必ず答えに辿り着く。
この謎解きゲームみたいなおもしろさを、より多くの人に理解して欲しいと思っていた。
けれど夢は夢だった。

お寺を建てることになった。

個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される(ジョン・D・クランボルツ)とは、うまいことを言ったものだ。

神様(仏様?)は本当に意地悪だ。
夢見た分だけつらくなる。

この頃はそう思っていた。

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