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【30日目】しんさい工房 ‐選択‐

庭にインドカリー屋さんが来た。

一人前のお坊さんになるには、大きく分けて3つの儀式がある。

1つめが、出家をするときの得度式(とくどしき)。
2つめが、若い僧が高僧と法義や悟りに関する問答を行う法戦式(ほっせんしき)。
3つめが、正式な住職となるための晋山式(しんざんしき)。

僕は出家が12歳だったということもあり、高校生という早い段階で法戦式をやり、お坊さんとしてのキャリアアップを順調に果たしていた。

この法戦式という儀式は、お坊さん人生の中でもそれなりな節目のイベントのひとつで、また僕が出家したときの師匠が宗派の中でも地位の高い方だったこともあり、とてもたくさんのお坊さん、そして檀家さんや友人がお祝いに駆けつけてくれた。

父親はこの日、境内での立食パーティーを企画していた。
先に書いたインドカリー屋さんや町のレストランを呼んでその場で調理してもらい、その他アルコールを含めたドリンクなどを来てくださった方々にもてなした。

父親がどんなに厳しく、僕の携帯を真っ二つに折るような人であったとしても、僕が父親のことを尊敬する理由はこういうところだ。
父親は全く物欲がない。
いつも同じ服(作務衣)を着ており、車や時計などにも興味がない。
父親がお金を使うのは、いつも「人」のためだった。

家の目の前に市営のパークゴルフ場ができたときも、どんな人にも楽しめるようにとクラブの無料貸し出しをしだしたり、仕事に困っている人がいたら一時的にお寺でできるような仕事を用意したり、お寺の境内で少しでもゆっくりできるようにと庭の整備をしたり、そういうことにお金を使う人だった。

今回の立食パーティーもそうだ。
全て無料で振舞っている。
こういうところが、僕はとても好きだ。

僕はこの儀式で、師匠からお祝いをもらった。
高校生の僕には見たことのない額だったこともあり、とてもドキドキしたのをいまでも覚えている。

もちろん、そのお金が僕のもとに来ることはなかった。
伊藤家の半分ルールも適用されない。
そのお祝いは、僕の大学進学に向けての費用だったのだ。

当時は北海道大学でインド哲学を学べと言われていたが、僕の進路に選択肢はなかった。

宗派の大学の仏教専修科コースに行く。

これが師匠の望みだった。

大学の選択というものは、将来の選択にも繋がるところがある。
周りの友達は大学の選択で頭を悩ませていた。

〇〇になりたいから、△△大学に行く
〇〇の勉強をしたいから、□□学部に行く
〇〇になるには、その資格を取れる△△に行った方がいい

何かを選択するというのは、とても勇気のいることだ。
何が正解かだなんて、やってみないことにはわからない。
みんなはその選択に悩んでいる。

僕は贅沢な悩みと言われたらそれまでだが、それが羨ましかった。
僕が指定された大学は、僕の高校の学生が入学するには簡単すぎる偏差値の学校だった。
間違いなく落ちることはない。

僕はなぜ、外出禁止までさせられながら勉強を頑張ってきたのか?
僕はなぜ、毎日朝にテストのあるような高校で勉強をさせられてきたのか?

僕のこれまでの努力なんて何も関係のない選択だった。

〇〇に合格するために頑張る。
そんなみんなが眩しく見えて、僕自身がとてもしょうもない人間に思えた。
コミュニティの中で、みんなと違うというのは恐怖だ。
自分だけが取り残された気持ちになる。

僕は進学に関する周囲の情報から、できるだけ距離を取るようにした。
それでしか、自分を保てる方法が見つけられなかった。
僕はお寺の世界では頑張っている。
そう言い聞かせることしかできなかった。

そんな僕に春が訪れたのは、合格の便りが届くほんの少し前のことだった。

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