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【34日目】しんさい工房 ‐迷路‐

Vって何ですか?

大学での最初の英語の授業でのことだった。
理解度の確認なのか、基本のおさらいだったのかはわからないが、教授が5文型の話をしていた。
そんななか、ふいに後ろから聞こえてきたのが冒頭の質問だった。

教授がS(主語)やV(述語動詞)について説明するも、なかなか理解ができないようだった。
衝撃的なことに、僕の大学1年生の前期の英語は、ほぼ5文型の学習だけで終了することとなる。
僕は初日から教授に頼まれ、後ろの同級生に付いて授業のサポートをすることとなった。

僕は大学に何をしに来ているんだろう。
この先の4年間に対する漠然とした不安が襲ってきた。

2回目の英語の授業の後、僕はその英語の教授に教授室に呼び出された。
話は至ってシンプルだった。

君は編入(学)した方がいい


そう言われた。

もういい加減にして欲しかった。
僕は僕なりに、この人生を半ば諦めながら現実を受け容れてここに来ている。
初めから違う大学の方が学力的に合っていることなんてわかっている。
本当であれば、自分にだって学んでみたい学問もあった。
だけど、それらと折り合いをつけていまここにいる。
もうこれ以上、見れない夢や叶わない希望を持たせてくれるな。

ときにやさしさは残酷だ。
その教授が善意で言ってくれたのはわかっていた。
何度も自分のなかで繰り返されてきた葛藤が、また脳裏に蘇る。
高齢の教授の柔らかい笑顔とやさしさに、僕は「ここで頑張ってみようと思っています」とつくり笑顔で答えることしかできなかった。

大学はなかなか刺激的だった。
廊下をスケートボードで滑って移動している学生。
10人ぐらいしかいないのに、100人以上の名前が書き込まれている出席簿。
「うるせぇじじい」と言って授業中に教授と揉める人。
何を聞かれても「ニホンゴワカリマセン」と答える留学生。
教授が10分程教室に来ないと、黒板に【本日休講】と書いて出て行ってしまう先輩。

僕が思い描いていたキャンパスライフとは、限りなくかけ離れていた。

せめてもの救いは、仏教専修科の学生たちだった。
これまで、同じ学年にお寺の跡取りになるような人がいたことはなかった。
もちろん、教授も現役のお坊さんである。
お寺という共通点がある人が複数いるということは、僕にとってとても心強かった。

だが、僕の心の拠り所など、ここには存在しなかった。
そこには、髪の毛を剃っている人どころか、坊主頭にしている人すらいなかった。

茶髪・ロン毛・ピアス・タバコ・高級車…etc

無理はないのかもしれない。
僕たちの進路は、大学を卒業したらそのまま本山(会社でいう本社)に住み込みで修行に行くのが既定路線だった。
いわば大学生活というのは、僕たちにとって最後の自由な時間でもある。
どちらかと言えば、僕のようなタイプの方がめずらしかったのだ。

集団では、何が正しいかというよりも、数の多い方が正義になりがちだ。
僕は大学で完全に浮いていた。

孤独。
僕は大学の同級生に、友達をつくることができなかった。
自分を変える勇気もなく、馴染むこともできず、自分はここにいる人たちとは違うんだと自分で自分に言い聞かせることでしか、自分を保つことができなかった。

これが、僕のお師匠様が望んだ大学生活だったのだろうか。
辞めたい。
そう思っても、相談する相手すらいなかった。

唯一の救いはアルバイトだった。
仕事は、やった分だけ結果(収入)となって返ってくる。
それだけが、僕の存在価値を証明してくれているかのように感じていた。

そんな僕の様子を知ってか、一人の大学職員の方が声を掛けてくれた。
僕の転機には、必ず誰か『人』が存在している。
ここで僕の大学生活にひとつの転機が訪れる。

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