旧4年制時代の薬学部受験生の思い出 その2(宅浪時代)

前回は高校時代のことを書いたので、今回は宅浪時代について書こうと思う。

前回

宅浪時代にやったこと

筆者の宅浪時代は「代ゼミのCS放送」と「進研ゼミ」を主に使っていた。
(もちろん別のものも使ったけど)

進研ゼミは薄いので大学に持ってくのにも重宝したのは1年後の話。

朝8時半くらいに起床
音読(これがあるから自習室ではできない。昼間は親がいないのでこの時間にやる)
週3回くらい1時半から代ゼミサテライン予備校に通う
それ以外の日はCS放送を見る
夕食
勉強
12時くらいに就寝

という感じだった気がする。

ちなみに、その当時携帯電話を持っていなかった。

一応、学力は上がった

元がしょぼすぎるせいなのか、一応学力は上がっていった。
まあでもしょぼいよね。

それでも英語だけは救いようがなかったけど。

ただ、今と違ってルート的なものが確立されてなかったので非効率だったのは否めない。
逆に今だと首都圏等の都会の大学が難しい代わりに素人でもやっていきやすい情報はあると思う。
ただし筆者が仮面していた大学の偏差値は下がっている。

筆者は日本語を含めてリスニング能力が低いので、今の試験だったらそれが厳しい気はする。
リスニング免除を取れない聴覚障がい者(センターの資料を見ると結構いる)は大変だろうね。

メンタルは別にいかなかった

自宅浪人と言えばメンタル病むとからしいんだが、筆者は大丈夫だった。
むしろ予備校のほうが病みそうと感じた(大学時代の友人の話を聞くと、実際に病んでぶっこわれて、担ぎ出されて寮を去ってった人もいるらしい)

心配なら週1くらいで予備校単科生をやるプランがいいかも。
僕は地元に予備校が無いのでサテラインだったんだけど。

センターの結果

結論から言うと、センターは
英語 忘れたけど悲惨
数学 1は75点くらい(1にした理由は後述)
化学 ほぼ平均点
総合理科 73点くらい(化学分野を除いて無勉)
政経 8割くらい(無勉)
国語 現代文92点(無勉、1問間違い)

という結果だった。
なんで政経と国語だけええねん。
尚、仮面時には国語は爆死してる。運が良かったというだけだ。

で、国語と政経と数学1のおかげで文系大学にセンター利用で合格することができた。
数学1はこれを狙って選択した。筆者は場合の数と確率(今は数2Bになってるらしいが)が得意で、数学1はそれが配点の半分を占めていた。
問題を見て、場合の数と確率だけなら満点行けるんじゃね?と思ってそれを選択したという。(結果満点)
どうせ薬学部のセンター利用なんて受かるわけないので。いまは国語と政経で受けられるところあるみたいだけどねw
当時、うちの高校からならそこに行けたらまあいいんじゃない?とされていた大学だったし、1年先輩には高校同期も数人いた。
もし理転しなければ志望校はそこだっただろう。

落ちたので仮面浪人することにした

結局薬学部には合格できなかったので、仮面浪人をすることにした。
なぜそうしたのかというと、僕が普通に大学を卒業するころには薬学部は6年制になっており、学費がバカ高くなるからだった。

つまりチャンスは今しかない。

大学へ行きながら受験勉強をする。そして薬学部へ行く。

※ちなみに理系にしなかった理由は、薬学部の受験科目で併願できる理系が非常に少ないから。理科が1科目なうえに、数学3C(当時)をやっていないので。

仮面浪人の方法

仮面浪人にはいろいろな方法がある

まず、通学するか後期休学するか(僕は前者)
周りにオープンにするかクローズにするか(これも前者)
自宅通学か下宿か(僕は最寄り無人駅の祖母の家から通学)

通学するならオープンのほうが勉強時間を確保できる。
クローズだと大学内での勉強が英語しかできないし、内職も不可という縛りがある。

案外引っかかるところはサークルやバイトではない。
(予算さえあれば)

志望校選定

そもそも志望校選定からやり直そうと思った

①英語に裏技がきく(苦手である以上、そうするしかないと悟った)
②過去問との相性
③自分の条件(雪国ではない、体育が任意、非宗教系)

てな感じでかたっぱしから赤本を見ていった。
そこで数校に絞った感じ。(結果、地元や中学時代に住んでいた場所からは離れたところになった)

筆者は薬学部であればどこでもよかったので、早慶とかにこだわる人には使えない手ではある。

仮面浪人編へ続く


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