会社員最後の日。ありがとう、テレビ朝日。
2020年8月31日。
最終出社をひと月前に終え、有給休暇という最後の恩恵を受けていた夏が終わろうとしている。
2017年4月1日からテレビ朝日の報道編集マンとして3年半、ニュース番組の映像編集を生業にしていた私は、今日をもってそのファーストキャリアにピリオドを打つことになった。
正直、実感はまだない。
ただ、”会社員”という組織の庇護が失われることに対する、漠然とした不安が背中にまとわりついているくらい。
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私が新卒で入社した株式会社FLEXという会社は、テレビ朝日の報道分野に特化して深く関わっているグループ会社だった。
子供の頃、画面の中でカッコよく話すアナウンサーに憧れてテレビ業界に憧れた、よくいるテレビっ子の1人だった自分。
歳を重ねる中で”報道”という世界の奥深さ、意義に惹かれ、実際にそれを届ける立場として働けたというのは、本当に幸運なことだったと思う。
全国から届く映像を、正確に、分かりやすく、一秒でも早く伝える。
この仕事に大きな意義を感じているし、厳しくも優しい、プロ意識の高い先輩方と仕事ができたことは、私の社会人デビューとしてこれ以上なく恵まれた環境だったと感じている。
出社最終日の朝、東京タワーを臨んで。
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”メディアの忖度”
”テレビはオワコン”
インターネットが栄華を極める現代において、テレビの存在意義が問われる場面も多くなってきた。
自分の周りでも、「最近テレビ見ないんだよね…」と話す友人は多い。
それ自体を否定するつもりは全く無くて、むしろ情報を自分の意思で取捨選択できる時代に生まれた人の、当然の帰結だと思っている。
新聞やテレビがメディアとして力を持ったのは、これらが当時情報を得る数少ない、限られた手段だったから。
━新聞を読んでおけば情報が全て手に入る。
━テレビを見ておけば、明日の話題に乗り遅れることはない。
発信するということそのものに希少性があり価値があった時代に、マスメディアは確たる地位を築いた。
でも、今は。
誰もが手に持った端末で発信者になれる時代。
発信すること自体に価値があるわけではなく、
「何を発信するか」
「誰が発信するか」
という、発信の質の重要性に多くの人が気づく時代になった。
夜勤終わりの朝、
帰り道の眩しさに目を細めながら何度も見上げた森ビル
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テレビでは時間の都合上カットせざるを得なかった映像のフルバージョンがSNSにアップされたり、ニュースで取り上げられた対象の人物が、そのニュースに対して自らの意見を補足、表明することも多々ある。
誰もが、声を上げられるようになった時代。
そんな時代の流れを肌で感じた時に、自分がテレビ業界を志す根底にあった「情報を伝えたい」という思いの形が、いつの間にか少し変わっていた。
私が1番お世話になった大好きな番組
「ABEMA Prime」のスタジオ
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自分の目で見て、
自分の耳で聞いて、
自分の肌で感じたことを残し、伝えたい。
3年半、膨大な数と種類の映像を見て、繋いで、届けて。
その結果私に芽生えたのは、「自分が経験したものを残して伝えたい」という感情でした。
それは、PCの前で映像と向き合っていては得られないもので、
子供の頃からずっと持っていた「知らないことを知って、誰かに教えたい」という好奇心に素直になれたからこそ自覚できたもの。
最後に見送りに来てくれた、後輩の後ろ姿。
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伝えるための表現手段として、私は”写真”を選びました。
何もしなければ忘れられてしまうかもしれない一瞬を残しておける。
人を撮れば、その人が生きた証を未来の誰かに伝えることができる。
自分の目で世界を見て、届けたい。
それに価値を感じてくれる人と、共に生きていきたい。
そんな思いでシャッターを切る覚悟を決めました。
映像と出会ったことで、より強く「一瞬」の価値を感じるようになった。
報道と出会ったことで、「伝える」ことの意義を学んだ。
間違いなく今の私を作ってくれたのはこの場所です。
ありがとう、テレビ朝日。
サポート代は全額写真の勉強代に当てさせてもらいます…!