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薄膜のように堆積していく差別意識

実家で母と暮らすようになって、しんどいなぁと思う事も多い。

母は人権意識が高いとは言えない人で、結構ナチュラルに人種差別的な話や、テレビが流すステレオタイプの話を真に受けていて、それを発してしまうような人だ。(例えば「中国人は〇〇」とか「アメリカは白人至上主義でもうだめだ」とか。議論が荒すぎるというか、思考停止した発言。)

私は訂正する気力も失って、聞き流しているが、そうした一つ一つのステレオタイプを強化するような発言を子供時代ずっと聞かされていたんだなと思う。(相手が若い人だったらしつこく相手に向かって意見し続けると思う)家庭内にあるステレオタイプや差別発言というのは薄い膜の様に存在している。それは、身体にまとわりついていき、皮膚のように堆積していくのではないか。

こうして、自分の中にもナチュラルな差別意識が沁みついていて、折に触れてその差別意識が出てしまう。差別の心、差別を楽しむような心が恐ろしい事に私の中にもはっきりとあるのだ。

一回一回、それは違うという意志を持って、せめて自分の中では訂正したり、抗ったりしたい。

これから、誰かと関わるときは、自分はそういうステレオタイプで荒い議論はしたくないし、そういう雰囲気をつくらないようにしたい。

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