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日記

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日記・忘備録 等
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#仏教

いのちについて考えさせられる新聞記事

いのちについて考えさせられる新聞記事

新聞記事に、非常に考えさせられるものがあったのでメモしておきたい。

一匹の鶏に与えられたスペースはわずかB5用紙1枚程度であり、ぎちぎちのケージの中でその中で一生を終える。人間が卵を食べる為だけに生み出され、一生を終えていく。職員一人が管理する鶏の数が10万羽ということにも何だか恐ろしいものを感じる。もう、一匹一匹を見るということがとうてい出来ない数字である…。
こうした鳥の命をどう考えたらいい

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「モヤモヤする引用の仕方とは?」 2022/09/02日記

「モヤモヤする引用の仕方とは?」 2022/09/02日記

【愚痴のようなメモ・忘備録です】
(不快要素あり)

自分は仏教の言葉から感じたことをマンガにしてきたのであるが、
今でも、その漫画を引用してくれて、記事を書いたりやツイートをしてくれる人がいる。

そのこと自体はありがたいことだし、自分もそれをどこか「ねらって」書いていたところがあると思う。

しかし、なんだかモヤモヤすることがある。それは引用することに対するモヤモヤではなくて、次のようなことが

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「出会う」ということと「出遇う」ということ。

「出会う」ということと「出遇う」ということ。

親鸞の著作において「であう」という言葉は頻出する。その「であう」ことについて考えてみたい。
マッチングアプリでは「本当の出会いにならない」というつぶやきを見た(逆巻しとねさんのツイート)。なぜマッチングアプリでの出会いが本質的な出会いにならないかというと、そこに、「ワンチャン」や「恋愛」ということや、「結婚」という目的を最初から見ているからだという。なるほどと思った。「出会いとは何か」、「本質的な

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対話とは同質性の確認ではない

対話とは同質性の確認ではない

#日記 #忘備録

6年ぶりに、仏教の大学での学びを勉強を再開した。
4月からほぼ友人ができず、孤独に過ごしていたのだが、
昨日初めて、ゼミの先輩が飲みに誘って下さり、お話をした。

それは楽しかったのだが、久しぶりに仏教の大学に戻ってくると
その場にのみある空気とか、独特な文化を思い出す。やっぱり良いなと思うものもあれば、これは嫌だなと感じていたものも思い出す。

良いなと思うことで言えば、みん

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あらゆる命が大切と言った。

あらゆる命が大切と言った。

「あらゆる命が大事」だといいながら、なぜ踏みにじられている命があることに怒りの声をあげないのか。戦争をやめろ・命を奪うなと声をあげないのか。生命を傷つけるような原子力発電に反対の声をあげないのか。こうしたことが、私も含む僧侶や仏教者に問われていると思う。

最近、「お坊さんはSNSで発信した方がいい、メディアへの露出を増やした方がいい」と言う僧侶の主張を見たのだけれど、本当か?と思った。お坊さんが

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浄土と慈悲

浄土と慈悲

高柳正裕先生(浄土真宗大谷派僧侶)の『大いなる共震の「悲の海」へ』を読んでいる。本を読んでいて考えたことをメモしておきたい。

実を言うと、うちの次男坊はものすごく切れやすかったので、親類みんなが次男のことを怖がっていました。うちのお袋も次男に倒されて、「こんな恐ろしい孫とは、もう口をきかん」と言っていた。婆さんが実の孫を捨てたのですよ、自分が追い込んだのに、でも、どんなに間に合わなくても、どんな

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他人を苦しめながら自分が苦しいと泣き言を言う悲しさ

他人を苦しめながら自分が苦しいと泣き言を言う悲しさ

【メモ】

私はどこまでも自分の痛みは主張するのに、他人の痛みには鈍感だ

全く他人の痛みを感じることがない

例えば、何か他人に迷惑をかけて謝らなくてはならない時も

苦しんではいるが、その苦しみは相手の悲しみや心の痛みを思ってということではなくて、よくよく見つめると、「自分がこんなに苦しんでいるのに。辛い。なんで私がこんな苦しまなければならないのだ」という事でしかない。他者への痛みは萌してはい

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物を残すということ、地続きに残す

物を残すということ、地続きに残す

今日水俣病の勉強会に出て分かった事であるが、仏教を伝えるというのは、水俣病の悲しみや・そこで起こった問題、人々の苦悩を、後世に大切に伝える事と似ているのだ。

どちらも伝えなければあっという間に風化していく。そしてそこにあった事実が失われていく。どちらも悲しみから生まれたものである。後世に、そこにどのような悲しみがあったのか、何があったのか伝えなければならない。

しかし、ただ伝え、ただ残せばいい

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自分は違うと確認するために他者を笑う

自分は違うと確認するために他者を笑う

今朝、宗教を揶揄したり笑いものにするツイートがバズっていたのを見た。

私は正直、その批判されている宗教よりも、宗教を馬鹿にしてみんなで笑いものにしている人たちの方に怖ろしいものを感じたし、吐き気を催した。

宗教を笑いものにしたりネタにして貶めることを受け付けることができなくなった。昔は違った。それこそ私も宗教やそれに関わる人を馬鹿にして、笑いものにしていた。 

しかし、今は無邪気にそういう事

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「易しく・分かりやすく」に問題性は無いか

「易しく・分かりやすく」に問題性は無いか

最近自分には、哲学者の千葉雅也さんの言葉が響く。千葉さんは、倫理的なことがらの世俗化を警戒しているように思う。

千葉さんは、「倫理的なうったえかけ」と「消費を促す広告」が同じものに成り、どちらも注目を集めるとしている。千葉氏は「それで良いのだろうか?」と投げかける。そこでは大事な物が骨抜きになっていくと指摘されている。

自分もこの辺のことを問題意識として最近持っている。良かれと思って、仏教を易

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他者の期待に応えようとすることの中にある問題

他者の期待に応えようとすることの中にある問題

誰かの期待に応じようとして、行動するということは、行動の結果その相手から思ったようなリアクションが無かったら悲しんだり、憤慨したりしてしまうということがあるように思う。だとするなら、それは一見すると美しいようだがその根底に、期待に応えることで「相手をコントロールしたい」そして「期待に応えられるような自分になって、自分の価値を証明したい」という気持ちが動いているのではないだろうか?

そこに、非常に

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ドラマ『大地の子』に見る本願

ドラマ『大地の子』に見る本願

NHKのBSプレミアムで1995年に放送されたドラマ『大地の子』が再放送されている。(毎週日曜日21:00~)

筆者はこの番組を子供の頃に観た。すでに26年経っているというのは衝撃である。とても面白く、そして悲しい話だったのは何となく覚えていたのだが。26年ぶりに、第一話を見てその重厚なストーリーに圧倒された。素晴らしいドラマだと思った。

『大地の子』は第二次世界大戦で、中国に取り残された日本

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ある先生の最終講義

ある先生の最終講義

今日、大谷大学の加来先生の最終講義を聴講した。

加来先生は仏教学・真宗学(親鸞の教えを学ぶ学問)の先生。

心が動かされた。先生は、「僕は全然浅い人間なんだ、だけど僕が触れているものは、限りなく大きくて深い」と言われた。加来先生は、先人を通して自分まで伝わってきた教えが深いんだ。だから、それと向き合えて来れたことは、とても良かったと言っていた。

先生は最後に、「僕は人間の根本問題を考えたかった

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日記:資本主義社会が求道に与える影響について

※メモ代わりの日記なので、すごく読みづらいと思います。

今、『21世紀の恋愛~いちばん赤い薔薇が咲く~』(リーヴ・ストロームクヴィスト著)というマンガを読んでいて、これがむちゃんこ面白い。

ツイッターで野中モモさんがつぶやいていて、面白そうで買ったのだけれど、何が書いてあるかと言うと「現代は恋に落ちるのが難しい時代である。ではどうして恋に落ちるのが難しくなったのか?」という事が書いてある。

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