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人間とは、文化的生き物ではないのか?

別府・鉄輪温泉の真ん中を通る、いでゆ坂。

そのいでゆ坂の真ん中あたりに、大型ホテルに大衆演劇の劇場を併設したヤングセンターがあった。

田植え後や稲刈り後に、農家の人たちが、骨休めのために数日間湯治して、大衆演劇を楽しむ場所でした。

そのヤングセンターが、今年3月末に閉鎖されました。寂しいことです。

私は昨年ゴールデンウイーク開けに、当地を訪れてくれた友人と、ヤングセンターの芝居を見ました。俳優座や文学座とはまるで違う演目、役者陣でしたが、多くの観客は大衆演劇を楽しんでいました。

これがなくなったのは、実に残念です。

コロナウィルス騒動で、あらゆる舞台芸術や文化行事が自粛されていますが、それとは別の大衆演劇劇場の消滅です。

大衆演劇愛好家ではなくても、寂しい気持ちでいっぱいです。


ここ二十年、三十年というもの、お金儲けすることがよいことで、文化なんて予算削減のターゲットでした。

しかし、憲法には、「健康で文化的な」生活がうたわれています。文化予算削減は、憲法違反の誤った政策ではなかったか?

食べたり呑んだり、物見遊山したりは、ヒト以外の動物でも楽しめますが、文化に心を躍らせるのは、人間だけです。

2013年春、ミャンマーを訪れた後のコラムに、終戦後の捕虜収容所で、若い兵士たちが記憶を集めて、百人一首を思い出してカルタを作った喜びについて書きました。

(マイルストーンアートワークスのMilestone 2013年4月, No.146, Page.11)


文化の喜びは、カロリーも、質量もないけれども、とても大きな喜びを与えてくれます。

ヤングセンターのような劇場(ハコ)がなくなることは、文化の喜びに触れる機会がますます減ることにつながります。それがとても寂しいのです。


私がデジタル言語学連続セミナー全七回を終えて、一番伝えたかつたことは、ホモ・サピエンスは、「ある」ものではなく、「つくりだす」ものであるということ。そして、「つくりだす」とは、文化的に生きることに他ならないということです。

コロナウィルス対策で、自宅におられる方、ぜひとも人間にとって文化が大切であること、人間とは文化的生物であることについて、考えてみてください。

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