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もう一つのウイルス

政府の緊急事態宣言から2週間余が過ぎた。
私の仕事場は高層のオフィスビルに囲まれた一角にあるのだが、すっかりリモートワークが進んだのか、日中も人影はまばらで、飲食店はほぼすべて閉まっている。
そして、ジョギングしている人が増えた。

もともと曜日の感覚が鈍い人間だったのが、毎日が日曜日のような景色の中にいて、もはや今日が何曜日なのかiPhoneの画面をタップしないとわからない始末だ。
つくづく暦というものはシステムとして、あるいは儀礼的に自分の外部にあったのだと実感している。

そんな人間界の騒擾をよそに、植栽の緑は日に日に濃くなり、葉の茂りを射抜く太陽の光も力を増している。
こちらが暦を忘れても、彼らは規則正しく自分の仕事をしている。

夜も昼も私の血管を流れている同じ生命の流れが、この世界を流れて、リズミカルな韻律で舞踏している(『タゴール詩集』山室静 訳)

緊急事態宣言が発令された直後に書いた前回のnoteで、この国は「同調圧力」でウイルス禍を乗り切ろうとしていると記した。
一部の人々は、この未曽有のパニックに乗じて憲法改正の動きが出るのではないかなどと、まことしやかに語っている。
私はそんなこと以上に、多くの人々が「同調圧力」に何の警戒感も抱かず、むしろそれを期待し、正義感やモラル意識から積極的に加担しようとしているように見えることのほうが、どこか薄ら寒い。

大阪府知事は今日、「要請」を無視して営業を続けているパチンコ店の名前を公表した。
東京都知事も近日のうちに同じ行動をとるそうだ。

ホテルやメーカーなど、ブランドイメージや信用を毀損されたくない企業であれば、この〝実名を晒す〟という処分は痛手となる。
しかしパチンコ店や場末のバーなどには、守るべきブランドイメージなどない。
行政がマスメディアに名前を公表するのは、その店に抗議や嫌がらせが殺到することを誘導しているのだろう。
どこかの国のように武装警察を派遣しない代替として、憤った人々、不安や不満を抱いた人々からの「電凸」という形での実力行使に出たのである。

もちろん私も、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぎ、医療崩壊を避ける意味でも、経営事情はどうあれ、この時期にパチンコ店などが営業すべきではないと思っている。
大型連休の前に、行政が予防的観点も含めて強い措置を講じたいと考えることは、その意味ではまったくもって正しい。
そして、正しいからこそ、人々は「自粛要請」に応じない者を、次第に容赦しなくなる。

未知のウイルス同様に、あるいはそれ以上に危険なのは、今この国に急速に〝感染拡大〟しているポピュリズムの空気である。
感染していても自覚がない人が多数だという点は、未知のウイルス同様である。
不安と閉塞感が広がるなかで、人々は一気に理性を投げ出したかのように、平時であったなら拒絶したであろう「強権的に命令してくれる為政者」を求め始めている。

嗅覚のいい首長は「ロックダウン」という言葉をちらつかせ、皆さんの大切な命を守るためには力づくの措置もやむを得ませんというメッセージを、言葉の端々に滲ませている。
緊急事態宣言をなかなか出そうとしなかった政府に対し、有力な首長らが早く出せと促したのは、宣言の発令によって都道府県知事に強い権限が委譲されるからでもある。

政権の支持率が下がり、しかし主要な野党が信頼に値しないとなれば、人々は安易に新たな救世主を求めるようになるだろう。
忍耐強く改善を重ねる政治よりも、破壊的に世の中をひっくり返そうと呼びかける者のほうが、もはや正しい指導者であるように思いこむ。

20年以上前になるが、当時の駐日インド大使夫人であり、著名なジャーナリストであったジョツナ・シンさんを、早稲田の大使公邸に訪ねたことがある。
長いインタビューに答えてくれているあいだ、彼女は手もとにずっとタゴールの『ギタンジャリ』を置いていた。
そして、自分が一番心に留めている詩だと言って、数行を読みあげてくれた。
当時はよくわからなかった。
今はその重みを感じる。

心が怖れなしにあり頭が高くもたげられているところ、
認識が自由であるところに、
世界が狭い仕切り壁のために粉々に砕かれてはいないところ、
言葉が真理の深みから流れ出るところ、
倦まざる努力が完成に向ってその腕をさしのばすところ、
澄みきった理性の川が死んだ因習のわびしい沙漠の中で失われずにいるところ
心が汝に導かれて不断にひろがりゆく思想と行為とにすすむところ――
かの自由の天界に、わが天父よ、わが国土をめざめしめたまえ。(『タゴール詩集』山室静 訳)

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