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喜び、慣れ、権利の法則について

昔は毎日、今は毎週、社内で週報を書いているので、書いたことを振り返りながら、Noteに省力展開していこうかなと思いたち定期的にポストします。静かめに、でも少しづつアップ。

続いては、あらゆるシーンで活用できそうな考え方、喜び→慣れ→権利の法則について紹介したいと思いました。

喜び、慣れ、権利の法則とは

これはGoogleの風刺漫画の一説なのですが、人間の心理的な発展はきれいにこのようにできていると思った面白い話しです。

まず、「喜び」です。
新しい価値観や体験や自分が好きなことに出会うと「喜び」から始まります。美味しいものを食べる、無料で食事がサーブされる、美しい景色に出会う、素晴らしい家族、楽しい仕事、スポーツ、趣味。なんでもそうです。喜びです。楽しいです。

続いて、「慣れ」です。
喜びだったものは、次第に慣れていくという考え方です。思い当たる事があると思います、私もたくさんあります。毎日食事があっても当たり前、掃除されていて当たり前、無料のレストランが当たり前、きれいなオフィスが当たり前、たくさんある福利厚生も当たり前。こうなると、喜びのフェーズで得られた感謝が失われてしまいます。

最後に、「権利」です。
慣れを超えると、最終的には「権利」になってしまい、ここからが大変にやっかいな心理状態です。家庭なら洗濯してくれてる、料理を作ってくれる、掃除がされている、仕事でも同様。会議室が使えて当たり前、オフィスはきれいで当たり前、無料のイベントや食事が当たり前、福利厚生が当たり前。なんでも構いません。

ここのフェーズ「権利」になると自分にも他人にも面倒が増えます。
今までは満足していたことに対して、「いちゃもん」をたくさんつけたくなってしまいます。ランチを無料で出しているGoogleですら「ランチが美味しくない」「品数がよくない」「もっと営業時間を拡大してほしい」などといった、意見が出てくるそうですが、あることが当たり前を通り越して自らの権利になっているので当然そうなります。もちろん、権利化したからこそやってくる合理的な提案も含まれるはずですが、権利化させずに謙虚に提案したほうがお互い気持ち良いものです。

日々、どう過ごすべきなのか。

これはまぁごく普通の結論に帰結するのですが、なにに支えられて生きているのか。ということを意識しながら過ごすだけで「喜び」のフェーズで多くは止まっていてくれるので、人生の幸せ度が上がるのではないか。という風に私は考えています。

何もかもを得たつもりになり、権利化が早い人をごくたまに見かけますが権利化して幸せなことはほとんど何もありません。日常に満足せず、不平不満ばかりをたらたらと垂れてしまうので、様々なシチュエーションにおいてはLose-Lose関係が簡単にできあがります。また、近年の日本は全体的にそのような風潮であることは否めず、何をするにも持っていないはずの権利を振りかざし、声高にあたかも自分のモノであるかのようなふるまいが目につきます。

逆に、喜びで止まる人はどうでしょうか、お互いに気持ち良い関係性が継続でき、毎日がワイワイと楽しくなります。私はかくありたいと思っています。

なお、不平不満を全て飲み込み我慢しろということでも全くありません。喜びをもっとよくするために、日々提案や改善のサイクルを回すということはもちろん重要だと思っています。

喜びで止めおくために

人間も社会も「際限なき欲望」によって成長を遂げてきましたので、無意識にいると必ず権利にまで上り詰めてしまいます。基本的にはなにかしらパンチ力のあるイベント(自身の病気、近い人の死、悔しさ他、心をゆさぶられる体験)が発生しないとなかなか難しいことではあります。

が、なるべく今の自分を超俯瞰的にみて、謙虚に物事を捉え直し、自分が一体何に支えられているのか。何が幸せなのかを知り、引き続きワイワイと楽しく過ごしていきたいなと思うのでした。(・∀・)!

ちゃんちゃん。

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