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父のこと #9 朝ごはん・お昼ごはん・晩ごはん・家のごはん・外食・記念日のごはん・丹後のばら寿司・食べること

飲むことも食べることも好きだった父ですが、どちらかと言えば食べる方がより好きだったのではと思います。
そんな話を書きます。

朝ごはん

父が一緒に暮らしていた頃、朝ごはんはいつも白ごはん・お味噌汁・漬物と決まっていました。
後で母から聞いたことによれば、それは父の希望でそうなっていたそうです。
朝はいつも新聞を読みながら、朝ごはんを食べていた父でした。

お昼ごはん

お昼ごはんは、12時ではなく13時と決まっていました。

生家で仕事をしていた時は公設市場が近く、お昼のおかずとして市場でできあいのものを買って出していたことがありました。
住吉区に工場を移してからは、近所の食堂に食べにいき、うどんや丼ものを食べていることが多かったようです。

工場で働いていた人もその食堂で食べて、代金は父が全部出していたと聞いたことがあります。

晩ごはん

うちの晩ごはんは20時です。
父が家で晩ごはんを食べる時は、いつも瓶ビールを1本開けていました。
晩酌の時は、特別なあては出していなかったと思いますが、その後の遅めの時間にお酒を飲む時には、母が工夫を凝らしてあてを作っていました。

家のごはん

父はいつかのオニオンスープとリンゴの皮むき以外、何も料理はしない人でしたが、食べることは大好きな人でした。

ただ、あまり慣れないものは食べられないようで、フランス料理やスペイン料理に文句を言っていたことがありましたし、グラタンを食べた時にはお腹を壊したそうで、以来母は温めた牛乳を使う料理は出さないようにしていたそうです。

お肉よりは多分魚が好きで、おいしいお刺身や寿司に目がない人でした。
接待や家族旅行で何度も伊勢志摩の旅館に行きましたが、目当ては新鮮な魚の刺身と、翌朝に出る魚のあらを使ったお味噌汁でした。
父のために母は鰹を捌いてたたきを作ったり、飲み屋で情報を仕入れてあら煮などを作っては、父のあてに出していました。
決して外食が嫌いな人ではありませんでしたが、家でいろんなものを手作りして出してもらうことを喜んでいたように思います。

外食

父と一緒に外食をしたことはたくさんあったと思うのですが、憶えている数はそう多くありません。

・焼肉
小さな焼肉屋さんでお気に入りのお店があり、何度も家族でお世話になりました。たれは昔からのものに継ぎ足しをしているとのことでした。
父のこだわりは、高いお肉を食べないこと。ロースとカルビは絶対に頼まないと言っていました。おいしいお肉は値段じゃないと思っていたようです。
そのお店で最初に焼いて食べるのはハラミの塩焼きだったのですが、大人になってから行く焼き肉屋さんでは、塩ハラミを出すところが滅多にないのが不思議です。(そのお店が不思議だったのか…)

・洋食屋
とんかつ、とんてき、ポタージュスープ、ホタテのコキールを出すお店に何度か連れて行ってもらいました。

・お寿司
握りを、お箸ではなく手で食べて、汚れたら洗うための水が出るカウンターのお店に行きつけていました。値段のついたメニューがなく、安くない贅沢なお店だったと知ったのはかなり大人になってからです。
子供がいくら頼んでも止められたり咎められることはありませんでした。

・ステーキ屋さん
接待か何かで教えてもらったと言って、随分高級なステーキ屋さんに連れて行ってもらったことがありましたが、一度だけです。
自分が好きとかおいしいとかよりも、母や私をびっくりさせたかったような気がしました。

記念日のごはん

記念日というのはほぼ誕生日のことで、家族の誰かが誕生日の日の晩ごはんには、お頭つきの魚が出ることになっていました。
誕生日の人がその魚に箸をつけることで、その日の晩ごはんが始まるのです。
このルールは、誰が決めたのかはわかりませんが、少なくとも父はそれにちゃんとつきあっていました。

大人になるにつれてその習慣はなくなって、適当なお店で外食をするようになります。
大人にとって、特に料理を用意する母にとっては、特に大事にしたい習慣でもなかったようですが、子供心には家族揃って食べる誕生日の日のごはん、お頭つきのお魚、箸をつけられるのを待ったり待たれたりするのは、思い出深いものがありました。

丹後のばら寿司

田舎である丹後には、ばら寿司と呼ばれる郷土料理があります。
鯖のそぼろや干ししいたけを戻して炊いたものなどを乗せたちらし寿司です。
祖母が作るのを見たことはありませんが、母は度々我が家のご馳走として作っては出していました。

しかし、父は母の母が作るものが、母のよりもおいしいと言っていたそうです。多分、そぼろの味つけが違っていたのだと思われます。母の推測では、母の母が作るそぼろの方がより甘く、それが父のお気に入りだったのではないかとのことでした。

食べること

父にとって、食べることは大事なことだったのだろうと思います。
いつだったかダイエットのために私が冷蔵庫に張り紙をしていたとき、母に言ってすぐにその張り紙を外させていました。
私の体形についてあれこれ言うことはありましたが、だからと言って「食べるな」とは決していいませんでした。

外食も好きでしたが、母が作る料理、また母に習って私が作る料理を、いつも喜んで食べていました。
私が作っても自分しか食べないで、父に出さない時がありました。その時父は、怒ることをせず、黙って空腹に耐えていました。
私の結婚披露宴で出された食事は、父の人生で最後のごちそうになったのかもしれないと思うと、私の気持ちは少しだけ和らぎます。あまり上手く食べることはできなかったようですが、見て楽しむことはできたでしょう。

食べ物の話をする時、父はとても素直で正直だったように思います。自分の好みや意見もはっきりと言いました。
私が父のはっきりした言葉を聞くことは、食べ物のこと以外になかったのではないかと思う程です。

本を読むことと並んで、食べる楽しみは、父からもらった財産だと思っています。



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