Incubateリレー創作企画

「じゃあ大将、もう一杯だけいただこうかな」
「ねえ隠居さん大丈夫っすか?もうそろそろやめておいた方がいいんじゃありませんか?」
「・・・どうして?」
「どうしてってもう何杯も飲んでるでしょう?いい年してね、昼間っからそんなにガブガブ飲まない方がいいですよ」
「あのちょっとお尋ねいたしますけれども、ではいい年をしていなくて、昼間でなければガブガブ飲んでもいいと、そういうことですか?あたしはちゃんとお金も払っているのに、年寄だから、お天道様がまだ西の空に沈んでいないからお酒を飲んではいけないとそういうお触れでも出てましたか?徳川の将軍様から」
「大げさだよ。いや、そういうことじゃあありませんけれども」
「じゃあ、もう一杯出してください」
「いや出してもいいんですけどねえ、身体に毒ですよ」
「身体に毒?毒?ほーう、じゃあなんですか、おたくは客からお金を取って毒をお売りになっている?そら大変だぁ。そんな阿漕な店がこの町内にあるというのは、あたしは由々しき問題だと思いますんで、かわら版に言ってみんなにお知らせしてもらわなくちゃいけません」
「おい~おっかあ、どうすんだよ今日は隠居さんずいぶんと絡み酒だよ」
「いいよ~、どうせ明日二日酔いになるったってやることなんかありゃあしないんだから、好きなだけ飲ませてさ、ベロンベロンに酔っ払わせて余計にお金踏んだくりゃあいいんだよ。お金はたんまり持ってるんだから。ほら、お酒燗がついたよ」
「これどんぶりじゃねえか!相撲取りじゃねんだからひでえ野郎だなお前は。はい、じゃあ隠居さんこれしまいに一杯だけですからね。で、どうしたんすか?何かあったんすか?それだけ酔いたくなるような何かが」
「別に何もなくても酔ったっていいでしょ?あたしの勝手なんですから」
「いやまあね、何もねえんだったらいいんすけど」
「ありますよ」
「え?」
「ありますよ!あるからこうやって酔っ払ってるんでしょ?」
「だからそれを言ったんですよ。で何なんですかそれは」
「どうしてあなたに言わなくちゃいけないの??」
「面倒くせえなこのじいさんは!」
「だってそうでしょ?大将に話したところで何とかなるわけじゃないでしょ?」
「そらわかりませんよ、何ともならねえかもしれませんが、喋るだけでも少ぅし楽になるかもしれないでしょう?聞くだけ聞きますから言ってくださいよ」
「大きく出たねえ。聞くだけ聞きますから言ってくださいよ~って、あたかも聞くだけであたしの心を癒すことが出来る、あなたさまはまるで菩薩様のようなお方でございますな。これはこれはありがたやありがたや拝ませていただかないと」
「やなじいさんだねぇ全く。じゃあいいですよ、結構ですよ、言わなくて」
「言わせてください」
「・・・え?」
「言わせてください!」
「言いたいの?」
「言いたいの!言わせてください!このとおり!お願いします!」
「わかったよ、わかりましたよ、本当に天邪鬼なじいさんだなあ。で、どうしたんすか?」
「ふふふ、そんなに聞きたい?」
「どっちでもいいよ本当に!」
「いえ、聞いて。聞いて!あのね、ご承知のとおり、今あたしは倅夫婦に店を譲って隠居暮らしをしております」
「はい、知ってますよ。おかみさん早くに亡くなったのは気の毒だけど、倅さんがしっかりもんだから店ぇ任せられて良かったなってみんなで話ぃしてましたよ」
「であたしは離れで暮らしてるんです。身の回りの世話は小僧の定吉が色々とやってくれましてね、この定吉も気の利くいい小僧なんです」
「結構なことじゃあありませんか」
「時々将棋の相手をしてもらったり、茶の湯の真似事をしたり、庭いじりをしたり、のんびり心安らかに暮らしております」
「羨ましいねまったく」
「店ぇ任せた倅はと言いますと、商いの才覚もありますし、番頭ともうまくいって小僧たちにも慕われてる。また嫁いで来たお嫁さんもいいお嫁さんで女中たちとの折り合いもよくて倅とも仲睦まじくやっております」
「よかったじゃないですか。何か悪いことでもあるんですか?何にも心配することはないじゃありませんか」
「それが嫌なんです!」
「え?」
「心配することがないのが嫌なんです!誰一人としてあたしを頼りにしていないということが嫌!店をやっていた頃のあたしはね、輝いてましたよ。旦那様旦那様と、店のものたちから慕われて、商いで決めることはみんなあたしが決めて誰からも頼りにされておりました。それが今は離れで一人ぼっち。誰が悪いかわかりますか?みんな倅が悪いんです」
「そんなことはないでしょう!」
「いいえ!倅の出来がもう少し悪ければみんなあたしのことを頼ってくれたはずです。あいつの出来が良かったばかりに、こんなことになって。こんなことになるぐらいだったらもっと甘やかしてボンクラに育てりゃあよかった!吉原へ放り込んで骨抜きにしてしまえばよかった!」
「ひどいこと言ってるねぇ。なるほど、だけどいいじゃありませんか?もう隠居さんは十分働いて銭も稼いだんですから、道楽でも見つけて楽しく暮らしていりゃあいいでしょ」
「嫌なんです!大体ね、隠居なんて言葉はあたしは大嫌い。隠れて居る、ってどうして死ぬまで隠れていなきゃいけないの?あたしは日の当たるところにいたいんです!二度とあたしのことを隠居とは呼ばないでいただきたい」
「じゃあなんて呼べばいいんすか?」
「・・・おじちゃん」
「おじちゃん?」
「おじちゃんって呼んでいただきたい。日の当たるおじちゃん」
「おかしいよそらあ。あのね、別に隠居だからって死ぬまで隠れてろってわけじゃありませんよ。友達と一緒に出掛けたり、酒を飲みに行ったりすりゃあいいでしょ?」
「友達なんかいません」
「一人も?」
「一人も!いませんよ友達なんか。だっていそうにないでしょ?」
「はい」
「はいって。出席取ってるんじゃないんだから、そんなにはっきり『はい』って言うことないでしょ?あたしはね、仕事が友達だったの。仕事さえあれば他に友達なんていらなかったの」
「でもいたら良かったなって思うでしょ」
「はい」
「珍しく素直じゃねえか」
「でも友達では満たすことのできないこの仕事への熱き思い!!」
「どっちなんだよ!」
「あたしはね、働きたいんです!死ぬまで働きたいの」
「そんなに働きたいなら倅さんに働かせてくれって頼んで働きゃあいいじゃあありませんか」
「そんなこと出来るわけないでしょう!?そんなこと言ったらまるであたしが未練がましく旦那の座にしがみついてるみたいでしょ?」
「あながち間違いでもねえような気がしますけど」
「はい。いやはいじゃないの!そうじゃなくて、そんな旦那の座とかじゃなくてあたしは働いて頼りにされたいの。おじちゃんのおかげで助かりました。おじちゃんすごい。おじちゃん大好き。って若い女の子たちにちやほやされたいの!」
「ちょっと話が変わってきちゃってるよ」
「ですから大将!どうかあたしをここで働かせてください!」
「ここで?」
「はい。ここで死ぬまで働かせてください。この店の舵取りをあたしに任せてください!」
「それ乗っ取るつもりじゃねえか。いやでもうちなんてちっちゃな店ですからねえ、かかあと二人で十分間に合ってますし、それにここで働くとなりゃあうちのかかあの下で働くことになりますよ」
「それは絶対にいや」
「随分きっぱり言うねえ」
「ええ、だってあたしはね、お客を『ベロンベロンに酔わせて余計にお金踏んだくりゃあいい』なんてことを言うような恐ろしい人の下では働けません!」
「おいおっかあさっきの聞こえてたぞ!大きな声で喋っちゃダメだよ」
「でもね、おかみさんの言うとおりですよ。あたしは酒の飲み方もわからない。こうやって居酒屋で飲んでいても、楽しい酔い方がわからない。ただこうやってブツブツ言いながらどんぶりに注がれたお酒を・・・ってあたしはどうしてどんぶりで酒を飲んでるんですか!?」
「今気づいたのかよ!ああ、ああ、あらかた飲んじまってるよ。おいおっかあよお、どっか暇にしてるじいさんの働き手がほしいなんてところ知らねえか?」
「まあねえ、そらなくはないけども、元は大店の旦那様だろ?そんなえばってたような人に来られたって向こうだって困るだろうからねえ」
「確かになあ。そこへもってきてこの酒癖の悪さで天邪鬼ときてるからなあ」
「変われますよ。頼りにされるためならあたしはどんなことだってするつもりですから。たとえ火の中水の中でも」
「はいはい、まあとりあえず酒やめるところから始めましょうか。あ!どうも!どうぞどうぞこっちへ入って!」

※続きはナツノカモが創作。

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