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「マッサゲタイの戦女王」刊行記念エッセイ第七回 麗しの都エクバターナの栄枯盛衰

歴史の砂に埋もれた古代の実在都市エクバターナについて、熱く語ります。

エクバターナといえば、一般の読者さまには田中芳樹先生作「アルスラーン戦記」の王国パルスの首都としての方が、知名度が高いのではないでしょうか。篠原も若き日に夢中になって読んだ名作「アルスラーン戦記」は中世の中東を想定したファンタジーですが、エクバターナという名の都市は、古代から中世のイランに実在していました。

エクバターナは、現代のイラン北西部のハマダンという都市と比定されています。紀元前8世紀にメディア王国の首都として、初代の王デイオケスによって建築されました。

イラン高原のほぼ中央に位置し、東西の交易路の中心でもあり、四大帝国時代では隆盛を極めました。

紀元前550年にアケメネス朝ペルシア帝国に併呑されてからは、ペルシア帝国の夏の首都となりました。

ペルシア王族の避暑地だったもようです。ペルシア本領のスーサ、アンシャン、パサルガードは夏はめっちゃ暑いらしいです。

紀元前330年、エクバターナはマケドニア人アレクサンドロス大王によって征服されます。

アレクサンドロス大王の腹心だったパルメニオン将軍が処刑されたり、映画アレキサンダーでも大王の同性の恋人として描かれた、有名なへファイスティオン将軍が没したのもエクバターナです。

紀元前4世紀から1世紀のセレウコス朝でも、エクバターナは重要な都市でした。

その後のパルティア朝、ササーン朝でも首都のひとつとして機能していましたが、やがて衰退していきました。

イスラム時代に入ると地方都市としての役割のみとなり、千年を過ぎる間に、栄華の都エクバターナは廃墟となり風化し、その場所すらわからなくなってしまいました。

エクバターナと推定される遺跡の発掘は最近始まったばかりで、ほかの遺跡ほど研究が進んでおりません。

まだまだ議論できる材料がそろってないもようです。

紀元前5世紀に書かれた、ヘロドトスの「歴史」によると、メディア王国~アケメネス朝ペルシア時代のエクバターナは

<丘の上に建てられた巨大な城壁都市であり、同心円を描く七重の城壁に護られている。それぞれの城壁は、勾配を利用し、内側に行くほどに胸壁のぶんだけ高さを増してゆくよう設計されている。一番外側の城壁の胸壁は白い塗料で塗られ、二番目は黒、三番目は深紅、四番目は紺青、五番目はオレンジ色、六番目は銀、王宮と宝庫のある最奥の胸壁には、金の板をかぶせてある>

という、なかなか壮麗で広大な城壁都市だったもようです。

そして、メディア王国がペルシア帝国初代皇帝キュロス大王に征服された章を、18世紀のプロシア人歴史家、マックス・ダンカーは自著の「古代史:第五巻メディア帝国の滅亡」でこう締めくくっています。

"The walls of Ecbatana and the seven rings round the citadel could not avert his fate (558 B.C.).

「エクバターナの城壁、七重の防壁に囲まれ護られていても、かれ(アステュアゲス王)の破滅は、不可避の運命であった」

栄枯盛衰は歴史のならいですね。合掌🙏

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