ぐんぐん本を読んでいます。

一時期、フィクションに面白さを見出せなくて、ノンフィクションばかり読んでいましたが、数年前、フィクションの世界にも戻ってきました。
でも、さいきんの本は読む気がせず、やはり古典とか言われるものばかり。
つい2か月ほど前までは、30年くらい前の欧米の翻訳本読んでいました。
(オーウェルの「1984年」とかブラッドベリの「華氏451」とか)

ここ数年、新聞記事やネットで紹介されて興味を持ったものを図書館のオンライン蔵書検索で探しては、ネット予約して読んでいます。
昔は、気になった本は買っていたのですが、狭い家に場所がないし、
読んでみてハズレだったりもするから
ぶらり、本屋にでかけて目について気に入ったものを買うことはままあるのですが
(また、近所の書店が11月で閉店という…とほほ)
オンラインで得た情報では、よほど「これは、買う」と決めた本でないと買わない。

さてきのう読み終えた
「日本文学100年の名作 第8巻」

は少々知った経路がちがいます。

いきさつは、「はてな」の日記に書いたのですが

手短に言いますと、わたしの「はてな」のブログを読んでコメントを入れてくれた方が紹介してくれた作品からたどりつきました。その作品、尾辻克彦の「出口」を図書館蔵書でさがすと、尾辻克彦の単行本とともに、その作品が収録されている「日本文学100年の名作 第8巻」がリストアップされてきたので両方借りてみたのです。結果、とてもよかった。

「選書」「アンソロジー」について、これまであまり注意を払っていなかったのですが
FBで淡々と蔵書の表紙写真をアップする友人の投稿を見て興味を持ち
購入した「闇市」

これが良くて、
「テーマに沿って目利きが集めて編集されたアンソロジーって、よいな。選者の知識センスが試されるものだな」と非常に感心して、いらい、敬意を払っています。

そしてこの「日本文学100年の名作 第8巻」。
編者のひとりが、すきな文学研究者である池内紀。信頼できそうと思い、読み始めたのでした。

いろんなテイストの違う作者、
きいたことはあるけど読んだことのない作品を読めるっていいですねえ~
と感心しながら読み進めたわけです。

選りすぐりの作品ですから、どれも素晴らしいのですが
自分がとくに気に入ったのは以下の2作品。

深沢七郎「極楽まくらおとし図」
高井雄一「半日の放浪」

「まくらおとし」はじいさんのぶわぶわした日記かと思いきや
最後にズドーンとくるものがあり、
「こ、これのためにあれやこれやがあったのか、、、」
と「降参しました!」という心持ち。

深沢七郎って知らんかったけど「楢山節考」のひとなのですね。
半年ほど前だっけ、映画好きなわたし、みなみ会館(京都の単館系映画館)だったか、別のギャラリーだったかのイベント情報を眺めてたらこの「楢山節考」の映画が上映されるということで、載っていたあらすじを読んで興味をひかれたのだった(結局行かなかったけど)。

そういえば、夫の友人のロシア人から
「日本では、年をとったら山に捨てる習慣があるのか」
と訊かれて
「そうである。昔はね」
とよく知らないくせに、訳知り顔で答えたものだけど
ここはひとつ、せめて「楢山節考」読んでおきやしょう。
この感性、好みな気がするし。
と、姿勢を正して図書館オンライン検索、予約ポチッ。

「半日の放浪」は人生のひとつの転機にある主人公の半日の行動のなかで
退職した職場やその周辺のひとに思うこと、みかけた人、出会った人への内心の批判、旧知のひとへの憤り、残念な親戚の観察、じつはみんなから褒められるよくできた息子に対してさえ忸怩たる思いのあることを描き出してあり、とても共感できた。

やっぱり文学文章表現っておもしろいなあ。
自分にできることは、…と思いつつ
まずは先日、図書館から引き取ってきた「楢山節考」を読みまする。

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