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赤い救急車

サイレンを鳴らしながら街を走る救急車を見て、幼い頃の記憶が蘇った。
「赤い救急車」だ。
赤い救急車を見つけたら、それを指差しながら「赤い救急車」と五回唱えると願い事が叶うという噂があった。
その噂を信じて、何度か赤い救急車と唱えたことがある。

大人になった今ならはっきりと分かるが、救急車の車体は白だ。絵文字も白い🚑。
だから、赤い救急車など存在しないはずである。

けれど私は幼い頃、確かに赤い救急車を見た記憶がある。母の運転する水色のマーチで、後部座席で兄と並んで座っていると、窓の外を赤い救急車が走って行ったのだ。
兄がその救急車を指差し、「赤い救急車」と唱え始めた。その隣で、私も負けじとその呪文を唱えた。兄とはどんなことでも競い合いたい時期だった。
微かな記憶によると、赤い救急車が渋滞に紛れて見えなくなるまでに、その呪文を五回唱えられたはずだ。きちんと唱えられたのに、兄の方が早く言い終えたので悔しかった。だから、「赤い救急車なんて全部消えてしまえ」と叫んだ。
急に大声を出したので、運転席の母親に怒られた。
一度思い出すと、その風景が途端に鮮明になる。確かな映像として赤い救急車が私には見えていた。きっと兄にも同じような記憶があるだろう。

私は気になってしょうがなくなった。けれど、どれだけ調べてみても、赤い救急車が実際にあったのかどうかよく分からない。
それなら、私が見たあの赤い救急車はなんだったのか。ここまで考えて、ようやく一つの可能性に気がついた。
幼い頃の私の願いが叶って、あの瞬間、赤い救急車が全てこの世から消えてしまったのだ。

あぁ、もっとまともなお願いをするべきだった。

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