見出し画像

「命の選別」を否定する人の「無意識の選別行為」


「命の選別」に嫌悪感や拒絶反応を示す人達は多い。
本来は、命に差異などはなく、誰しも平等であり尊ぶべきものである。

しかし、人間界では常に命の選別が行われている。‪例えば法律だと、どの国の成文法でも不文法でも、深刻な危機に国が瀕した場合は自国民を優先することは認められていたり、暗黙の了解となっている。そして、命の選別の議論には、命の選別に向き合う人々は存在していない。常に、「選別をする」立場の人だけのもと言える。

また、ライフコースにおいては多大な選別などを了承しながら生きている。そこに、文化や経済などの事情は抜きにして、個人の実力を疑問に思わずにしてしまっている。

だから、実際は嫌悪感や拒絶反応を起こす人達でさえ、選別していたり、受け入れていると言える。

命の選別は、命の選別に拒絶反応を抱く人達も無意識的に行っていることが多くある。助けを求めている人に手を伸ばさない、声なき声を無視するということでさえ命の選別と同じである。我々は常に命の選別に加担しているとも言える。

しかし、そこには理由があるからと、どうして正当化できるのだろうか。
ただきっと、嫌悪感や拒絶反応に満たされる人達が行っている選別する理由は、案外何も考えていないとも言える。あるいは、マイノリティのなかでも一部の属性を持つ人にのみ適応され、ここにと自分の興味関心以外の「命の選別」はどうでもいいということなのだろうか。

命の選別は、優生思想の影響を強く受けて、民族や障がいなどの多く存在している「マイノリティ」たちは常に強く晒されてきた。

特に、近年では在日の人々、やまゆり園で起こった事件を皮切りに、より障がいを持つ人々などに強く向けられている。そして、強力に人権を求めてきた政治グループが「命の選別」を謳ってしまったことで、何千回目の議論としてSNSに上がった。

誰かを選別するという思想は、ありとあらゆる場所に存在している。どんなに人権を大事にしている人達でも、優生的に扱う物事は数多くある。命の選別を本当に否定するのなら、進路や就職などに至るまで「命」が付きまとうことは全てにおいて否定する必要が出てくる。

ライフコースにおける瀕死の重症は、自分の責任として置いておかれ、とりあえず手足が動く悲しみに打ちひしがれた人は尻を叩くけれど、自分より明らかに弱く、そもそも存在が危ぶまれる人々には「命の選別」から救おうとする。

そう考えると、命の選別の議論を持ち出す多く人々は、知らず知らずのうちに人々に優劣も付けているといえる。

“弱い”とされる人々のなかにも優劣を作り、損得を考えて、経歴や見え方にこだわることで、「この命とあの命」は違うと決めていく。本当は、それ自体が命の選別だといえる。しかし、そこには目を向けることなく進んでいってしまう。

だからある意味、今回の「命の選別の議論」は起こるべくして起こっていて、それを否定する人々も同じ危険性を孕んでいるのだ。

自分たちはそんなことをしない!これが問題であると言っているにもかかわらず、コロナで解雇された人や不登校になった人、今なお何かに戦って打ちひしがれてしまっている人などは見えない存在にして、挙句自己責任論を呼び出してしまう。

命の選別は、病や障がい、高齢などの問題だけに限定されるわけではない。常日頃から存在している。助けを求めているのに、無視をしたり、自分の力で立ち上がれなどと言っている人は、常に命の選別をしては突き放しているのである。「命の選別」の議論自体、様々な思想や忌避などが込められていると考える。

命の選別を持ち出すとき、自分の思想や自分の思想の欠点などを同時に提示することになる。あらゆる方向の議論をするとなれば、命の選別を語ることはできなくなる。しかし、命の選別を議題にはして行く必要がある。

議論は、あくまでも命の選別は何が問題で何を乗り越え何を変えていく必要があるのかなどの抽象的なものに止めおくべきだとも考えられる。

あるいは、あらゆる人々の命を平等に考え、一部の存在だけに限定しないということである。自らの持つ社会資源を還元できるのか、人に寄り添えるのかというところに向き合える人だけの言葉にする必要があるだろう。

この手の話題は、偽善なのか偽善ではないのかが見えやすい。また、全てを網羅できない不甲斐なさを受け入れた上で語れる人なのかが分かってしまう。

この先、命の選別に対する議論はより増えていくだろう。コロナによって強化され、経済の不安定さからくる格差の広がりが後押しをすることで、命にそれぞれ上書きされるように「意味のある・なし」がよりキメ細やかに決められていくだろう。

そうなれば、僕は「命の選別」を受ける方である。する方にはなりたくないし、なりたかったとしても無理な話である。

この先、より命に重さがなくなるだろう。その時、我々はどうすればいいのだろうか。

本当によく分からないことになってしまった。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。