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SNSの強さは言葉の強さ?-強い所属・地位かバズりなのか-



この文章は多くの人に知ってもらえるだろうか。

誰かたちに伝わるだろうか、

そう力いっぱい書き続けて・・・。

そんな淡い期待はいつも潰される。
なぜなら、仮想空間も現実に大きく準拠しているからだ。

結局、自分の言葉に何の意味もないのだろう。
しかし、そこに花を持たせてもらえれば大きく変化する。
何の変哲もない言葉や思想も途端に素晴らしいものへと変化する。

例え、醜悪な差別的な言葉さえも存在への認知を加速させることができる。

そういう点で、
SNSは一種のアメリカドリームのようなギャンブル性がある。

上手くいけば多くの人に知ってもらえて、
一躍スターへの階段を駆け上がれる。
しかし、失敗をすれば世界中からの監視されたような監獄へと落される。

現在の社会は、SNSに依存した社会である。
だからこそ、上手く利用することが成功のカギとも言える。

とはいえ、SNSでのプロモーションも普段の自分のプロモーションも大体同じであり、そこには得意・不得意が存在する。もちろん、現実と同じで強力な所属や地位がある人が有利である。

どんなに素晴らしいこと、どんなに正しいことを話していても、
拡散力がなければ無意味になる。

一番な簡単な道は、現実の所属や地位も協力であり、そこから得た人間関係をフルに活用してSNSでの人脈を作り、言葉を紡いでいくということだろう。

確かに、「バズる」という、急にある言葉や文章が注目されることもある。
そこから継続的に広まって強力な地位や所属を得ること可能な場合もあるが
それは、原宿で芸能スカウトを受けるような感覚と似ているように思う。

誰もがそうなれるわけではない。

でも現実世界よりも「消費しやすく・わかりやすく・時代の風に乗れる」ということが幾重も重なってこそうまくいくことにあると考える。

なかには、お金を払ったり、相互ほう助のような稼ぎ方もあるが少し事情が異なる。

そう考えると、SNSは現実社会とリンクしている。
現実と切り離されているように見えても繋がっている。

現実でそこまで評価されていなければ、
SNSでも評価されていないことが多い。

例え、SNSでは評価されていても中身のないことが多く、
継続性や実益にまでは実りにくい。

自分自身、そこまでSNSの力を信用していなかった。
なぜかと言うと、真実は「有名」な人が有利で、「有名」な人が利益を取っていくから。

それがやはり真実であることを目の前にしてしまうと、SNSの凄さと許せなさが溢れきてしまった。

「有名」な人たちが拡散力を持つのは、現実での強力な地位や所属があるだけでなく、マジョリティ側で、多くのマジョリティ側の気持ちが手に取るように分かり迎合できるからである。

マイノリティ側にもそのような人はいるが、大体はマイノリティのなかでの強力なマジョリティ性を持ち、モデルとしてカッコよく振舞うことのできるパワーを持つ人間であることが多い。

なら自分もそうなればいいだけの話であるが

自分を自分で売り出すことや迎合することが苦手である。
そして、誰かに好かれようとするような内容が書けないから難しい。

自分自身、マジョリティも苦手だし、特権をもつマイノリティの苦手である。そしてそのことをこうして書いている時点で両者から弾圧を受けるし消されてしまう。

これだけ地位や所属を求めて声をあげても、真実を暴露されてしまう人は封じられて、どこの人にも届いていないように思えてならない。

自分の周りの人も自分の書く内容は「広めにくいし、何も言えない」と口をつぐむ。

それだけ核心に近い部分であるのかもしれないし、大切なことなのかもしれない。

でも、それを社会に出すということは避けたいと思われる。
もしかしたら、自分たちの地位が危うくなるからとも言える。

それでもこうして書き続けているのは、きっといつかと信じているからだ。

そしてマジョリティに負けたくない、うまくいく何も知らない恵まれた人に負けたくないからだ。

しかし自分も人間だから、少しだけ安心や安定、ふんぞり返ることもしたい。でも、特権的なマジョリティやマイノリティのようには絶対にならない。

この辛さや苦しみを知っているから。

そして光が当たっているときに

誰かに光を当てる義務を背負うことを知っているから。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。