「知っている」ことと「信じる」こと、そのふたつには距離がある  ~日本のなかのキリスト教

 日本でキリスト教について語り合おうとすると、「どちらがどれだけ、キリスト教について知っているか」という角度の話になりやすい。個人的には、そういう話にはあまり意味がないと思っている。
 誰がどれだけキリスト教について知っていようと、それだけでは、目の前で困っている人を助けるための役には立たないと思うからだ。もちろん、自分の役にも立たないだろう。

 知識は、使わないと意味がない。しかも、使いようだと思う。使い方次第で、良い知識にも悪い知識にもなる。

 日本のノンクリスチャンの人たちは、クリスチャンが考えているよりもずっと、キリスト教について知識を持っていると、私は感じている。
 イエス・キリストという言葉や、十字架のエピソードを知らない人は、ほとんどいないだろう。
 キリスト教入門と謳った書籍も、たくさん出ている。そしてそれらは、知識を伝えるものが多い。「教養として知っておきたい」というニーズに対応しているからだ。そのため、「宗教色を抜きにして、宗教についての知識が得られる」体裁になっている。

 そうした「宗教色を抜きにした知識」を得ることについて、反対はしないけれど、それらがキリスト教の本質からけっこう離れたものになっていることは、意識していただいたほうがいいかな、と思う。
 キリスト教は宗教だからだ。
 宗教を知るのに、「宗教色を抜きにして」はあり得ない。

 その意味で、日本ではキリスト教についての知識は広まっているけれど、その宗教を「信仰する」とはどういうことなのかについては、あまり知られていないように感じる。

 日本で宗教を信仰するというと、ファンダメンタリズム(原理主義)的なイメージを持たれやすい。でもそれは、信仰のひとつの形でしかない。
 信仰のしかたは人それぞれということは、繰り返しnoteで述べてきた。

↓一応、過去の記事を貼っておきます。

 ちなみに、私自身は改革派の教会に所属していて、超教派で行動しており、いろいろな教派のお友だちがいる。(仕事ではお寺や神社の取材が多かったので、お坊さんや神職の方とも、たくさん話してきた。)

 信じ方は人それぞれだから、「キリスト教の信仰とはこうです」とひと言ではなかなか言うことができない。また、日本は、キリスト教を信仰していることをカミングアウトするのに、勇気のいる国だ。
 あまり知られていないけれど、第二次世界大戦中には、牧師が何人も獄死している。わずか70~80年前のことだ。遠藤周作さんの『沈黙』で描かれたカトリックへの弾圧より、もっと現代に近い時代でも、クリスチャンへの弾圧はあった。

 現在はそこまでの弾圧はないけれど、私も、一般のメディア(キリスト教メディアではなく)でフリーランスで仕事をしていて、クリスチャンであることをカミングアウトするのには、覚悟が必要だった。そして、その後はそれなりに苦労はある(笑)。
 だから、自分がクリスチャンであることを、あえて公にしていない信徒も多いだろう。
 そんな背景もあり、キリスト教を「信じる」とはどういう態度のことなのか、日本では知られにくいのかもしれない。

 冒頭の話に戻れば、「信じる」とは、キリスト教について知ったことを、実際に自分の人生や日々の暮らしのなかで、良いほうに使っていく(実行していく)ことだと、私は思っている。
 それは、人に知識を語ることではなくて、「完全な人間はいないから、許し合い、助け合って生きていこう。お互いに何か誤りがあったら謝って、改めよう。過去思考ではなく、未来思考でいこう」を実践することだ。
 当たり前のこと、と思われるかもしれないけれど、難しい。

 わかっていても、つい「気持ちがついていかない」とか「仕事の利益のためにはしかたないのかなぁ」とか、私自身も揺らぎ続ける。
 揺らぎ続けるのは、けっこう苦しい。だから、折に触れて聖書に立ち返り、落ち込み、反省し、次はがんばろうと奮い立って、再び前へ進む。

 つまるところ、信仰を持っているとは、立ち返る場所がある、ということなのかもしれない。
 少なくとも私にとっては、いざというときに立ち返る場所があり、それを信頼していられるというのは、ありがたいことだ。
 それを基軸にして、がんばれる。

 最後に、以上のようなことを端的に表していると思う聖書の一節を、引用します。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(ヘブライ11:1 新共同訳)

 


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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