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プリスキラ ~もしも洗礼名を授かることができるなら

 私はすでに洗礼を受けたクリスチャンです。所属しているのはプロテスタントの改革派の教会で、多くのプロテスタントの教派がそうであるように、洗礼名というものがありません。
 カトリックや聖公会では、受洗すると洗礼名が与えられるので、ちょっとうらやましいなと思います(笑)。

 洗礼名がないのはしかたがないので、どうしてもほしいと望むわけではないのですが、ときどき「もしも自分が洗礼名を授かれるとしたら、何がいいかなあ」と想像をめぐらせ、楽しんでいます。それをモチベーションのひとつにして、聖書に登場する人物や、カトリック等が認定している聖人の名前を調べることも。

 つい最近、「プリスキラ」という女性の名前を知りました。

 使徒言行録に、夫のアキラと一緒に出てきます。

パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。
(使徒言行録18:18 聖書新共同訳)

 パウロと協力して、キリスト教の伝道に尽力しました。彼女の名前はパウロの書簡にも度々出てきて、そこではプリスカと書かかれています。

キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
(ローマの信徒への手紙16:3-4 聖書新共同訳)

 調べると、プリスキラは愛称で、プリスカのほうが正式な名前とのこと。
 使徒言行録には、愛称で記されているのですね。
 プリスキラという愛称、かわいいなあと思いました。なので私は、愛称のほうで呼ぶことにします。

 ところで彼女は、夫婦で紹介されていながら、「プリスキラとアキラ」「プリスカとアキラ」のように、夫より先に名前を出されています。そのため、〇〇の妻、という立場で夫を支えていたのではなく、彼女自身が役割を担って仕事をしていた(=影響力があった)と考えられているようです。

 私もいま、こうしてnoteで、いまどきのキリスト者の暮らしを発信しています。もちろん自分で書いて投稿して、という、仕事自体は孤独な作業なのですが、そばにいてくれる夫の支えがあってこそ、続けることができているとつくづく感じます。精神的に頼れるパートナーの存在は、私にとって、とても大きなものなのです。
 きっと、プリスキラもそうだったのだろうな、と親しみが湧きました。

 聖書には、もっと有名な(よく知られている活躍をした)女性がたくさん登場します。けれども私は、プリスキラに惹かれました。
 そのおかげで、これまではさほど興味を持てなかった使徒言行録が、身近に感じられるようにもなりました。こういう角度から、聖書に接近してみるのも面白いものです。

 どんな女性だったのかなあと想像しながら、あらためて、使徒言行録を読んでみたいと思います。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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