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不自由を生きる  新見正則


ある年齢になってわかったこと

人は生まれた直後から、だんだんと壊れてそして死んでいくのだと思っています。最近特に、そう思うようになりました。
若い頃はそうは思えませんでしたが、ある程度年をとると実感します。
少しずつ壊れていく自分を受け容れることが大切なのではないかなと思います。

ひとはいろいろ、死に方もいろいろ

事故や急病などで突然に絶命する人もいます。
何一つ不自由なく生きてきた人の命が突然に絶たれることもあります。
でもそれは稀です。
多くは何か病気を患い、そして複数の病気を抱え込んで、死に向かっていきます。事故で不自由な体になって、そしてだんだんと壊れて死んでいく人もいます。

小さな不幸や不自由が起こることもあります。
大きな不幸や不自由が起こることもあります。
生まれながらに大きな不幸や不自由を持って生まれてくる子もいます。

克服できる不自由もありますが、一生背負っていく不自由もあります。
だんだんと不自由が積もり上がって、生涯を閉じることが多いと思っています。

どもりという不自由

僕には物心ついた頃からどもりがありました。
吃音とも表記されます。
ウィキペディアで調べると、なめらかに話すことができない状態を示し、
「流暢性の障害」とも言われるとあります。
話すときに音や語の一部を繰り返したり、引き延ばしたり、
言葉が詰まるのが代表的な症状と書いてあります。

当事者の精一杯のがんばりが「障害」として認識される

僕は他の吃音の人の心の底を知りません。
僕の経験からは、次の言葉を出すために、どもってみたり、
「えーと」とか「あのー」を必死に繰り返していたのです。
自分なりの精一杯の努力が、世間的には吃音と認識されているのです。

僕には読語障害もあり、書いてある字を声に出して読むことができませんでした。暗記すれば話せます。
電話を掛けることもまったくできませんでした。
同じことを対面では話せても電話では言葉がまったく出なくなるのです。

愛に包まれた不自由と不幸

僕にとっての不自由は、ある時は本当に不幸でした。
自分なりにこんな状態では将来生きていけないと思っていたのです。
母は優しく支えてくれていたと思っています。
母が認知症になる前にぼそっと家内に「正則のどもりは本当に心配だった」と語ったそうです。
僕にはそんな素振りは一切見せずに、でも精一杯支えてくれていたのです。

自分の不自由から解放されて生きる

必死にいろいろな対処方法を探しましたが、どれも解決には至りませんでした。
結局は吃音を隠そうとして生きるのではなく、
人にオープンにして生きていこうと思って、だんだんと楽になり、
なんと吃音は治りました。

僕の苦労を知って、吃音の患者さんがクリニックに来ることも増えました。
楽に出来ることもありますが、変化がない人もいます。
でも、今は話さなくてもやっていける職業が増えましたね。

まだあった、もう1つの不自由

実は僕にはほかにも不自由があります。

小学生の頃とがった鉛筆で遊んでいて、
その鉛筆が左の人差し指の腹にグサッとささり、爪の方に抜けたのです。
鉛筆の芯の破片が左の人差し指の腹に入っていました。
その芯のかけらは医学部6年生の時、形成外科の教授に顕微鏡で摘出してもらいました。当時、カルテも作らず、教授の計らいで局所麻酔の手術をしてくれました。実はこの左手の人差し指のために、高校生時代に興味のあったギターを諦めました。

幸い外科医になるには不自由なことではありませんでした。
しかし、今でも左指で患者さんの脈を診るときは人差し指は使用せず、
中指と薬指で診ています。

誰もが抱えてる不自由

他にもいろいろな不自由や不幸を、人は他人には黙って抱えています。そんな不自由や不幸は年齢とともに増えていくのだと思っています。母も最後は記憶が壊れて、認知症になって、旅立ちました。

慢性疾患という不自由

いろいろな慢性疾患があります。
運良く成長とともに、または治療薬が開発され、ほぼ治る慢性疾患もありますが、一生抱えるものも多いでしょう。

がんも慢性疾患の1つです。

無事に治療が終了しても、生涯再発の心配や、新しいがんの発生に
少々怯えながら生きることになります。

更年期という不自由

更年期障害と世間で呼ばれる人にはこんな説明をします。

 更年期は年をとるという意味合いで、生まれた直後から始まっています。
 ホルモンの状態と実際の年齢とのギャップで更年期障害は起こるのです。
 ある程度時間が経過すればそのギャップは小さくなるので、楽になりますよ

 でも、あなたの更年期障害的な訴えは相当楽になっても、
 ある程度は死ぬまで続くかもしれませんね

他人の不自由を想像することは、誰かの不自由を希望に変える

医療は進歩しています。
慢性疾患のいろいろなものが克服されていくことでしょう。
そして新しい慢性疾患にかかって、いろいろな慢性疾患が重なって人は旅立ちます。慢性疾患は加齢の1つと自分なりに納得して、そしてそれと上手に共存しながら生き抜くのが得策と思っています。

他の人の不自由や不幸は、将来は自分にも起こりかねないという自分事にする想像力が、助け合いながら生きていく時代には必須だと思っています。



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