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Serendipityな出会い  新見正則

僕の好きな言葉、Serendipity

最近、自分の書籍にサインするときは「Serendipity」という単語を添えています。自分の名前を右斜め上に向かって書いて、左上に「Serendipity」、右上にハートマーク、そして、右下に年月日です。

ともかく偶然を大切に

「Serendipity」は素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することですが、ともかく僕は偶然を大切にしているのです。僕はよく友人に、知人に、「運気が良い」と言われます。そして「そう!」と言えるように振る舞っています。一生懸命「Serendipity」に恵まれるように日々お祈りしているのです。

ある特別な出会い

先日、とても気があうひとに出会いました。ある方の紹介でズームでお話して、そしてオフラインでお会いしました。実際には初めてお会いしたのにもかかわらず、会話がとっても弾み、なんだか何年も前からの友人のようなのです。

へしゃげた耳に隠された母の思い

面と向かって話していたら、彼の左の耳がちょっとへしゃげていることに気がつきました。柔道やレスリングをやっていたのかなと途中から気になりました。すると、彼が「僕の耳はあとから付けたのです。皮膚は○○から、軟骨は○○から移植しました」と教えてくれました。生まれながらに左耳が欠損していて左の聴力はないそうです。そんな子ども時代の話をご自身から伺いました。

ご母堂様は「あなたが幼いころ、わたしが熱湯を耳にかけてしまったから、耳がなくなったの! 私の落ち度なのですよ」とずっとご本人に語っていたそうです。先天的な障害と思わせたくない母親の配慮だったとご自身が語っていました。

わかりあえるという「Serendipity」

僕が「僕も子どもの頃はどもりと発語障害があって、母は相当そんな僕の行く末を心配していました」と話しました。「先生は純風満帆で育ってきたのかと思っていました」と彼は僕の印象を語りました。「字がずっと読めなかったのです。暗唱はできるけれど、書いてある字を読むことができなかったのです。英語でも中国語でも、一度文章の構造を頭で理解して落とし込まないと聞き取れないし、話せないのです」と自分のことを語ると、彼も「ぼくもそうです」と頷いてくれました。

あのひともきっと同じ。当事者だからわかる

オックスフォードの大学院で一緒だったオランダ人はまったく知らない相当長い日本語を一度聞いただけで復唱できました。また、自分の娘も、BSニュースで流れるトルコ語を、そのまま復唱できるのです。僕はそんなことは超苦手。苦手というより不可能です。読み書きは得意ですが、ヒアリングとスピーキングは超苦手です。「僕の頭の中では、誰にもわからない何かが起こっていると思う」と話すと、彼も「僕も同じように思っていました」と頷いてくれました。

人との出会いで新しいなにかが始まる

そんな出会いと、語らいを経て、妙に意気投合した次第です。人はいろいろですよね。幸せに見えても、人に言えない不幸を抱えている人も多いと思います。一方で不幸に見えても、実は幸せな人もいるはずです。自分のことを、特別な事情まで深くわかりあえる人は少ないのです。僕の頭の中の、自分が思っていた奇妙な構造(?)を理解してくれる人との偶然の出会い、それもSerendipityと思えました。

すばらしいSerendipityに恵まれますように

彼と一緒にいればこれから何かが起こりそうな気がします。運気がいい僕は直感でそう思うのです。そんなSerendipityを感じた出会いでした。僕は不幸なことが起こっても、敢えて「ラッキー」と呟いていると時々語っています。そしてその不幸と思えることが将来は運気の始まりと思えるように振る舞うことが大切と思っているのです。一度限りの人生です。それぞれが幸せに生きぬことを願っています。

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