雑記その3 アンチ・エビデンス論批判のおまけ

 先日、ぼくが、千葉雅也の「アンチ・エビデンス」という論考を批判したところ、「性病パラリンピック」さんという方が、ぼくの意見に対して反論をお書きになった。その後、ぼくがツイッターで性病さんに反論すると、性病さんから再反論が寄せられた。

 ぼくの千葉批判 https://note.mu/shinkai35/n/n37779516e099

のコメント欄を見ていただければ、一連のやりとりを追うことができる。正直さほど面白いものではないと思うが、物好きな人は、これを読んでどちらが説得力あるかを判断してくれればいい。

 今回ここでわざわざ性病さんの話をとりあげたのは、彼からの、最新の反論に、一箇所、興味深いことが書いてあったからだ。どのみち、ほかに雑記を書くネタもないし。

 経緯をさかのぼって説明しよう。ぼくは以前、千葉のアンチ・エビデンス論について、次のように書いた。鍵カッコ内は千葉の文章からの引用である。

最後の「接続過剰のただなかで、エビデンスと秘密の間を揺らぐ身体=資料体を、その無数の揺らぎの可能性を、ひとつひとつ別々の閉域としてすばやく噴射する。柑橘系の匂いで。」は、率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします。

 しかし性病さんによると、千葉の文章は意味がよくわからない、というぼくの主張は、主観的なものにすぎないのだそうだ。

これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネットで賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?

 引用部を読めばわかるとおり、性病さんの主張は、「千葉の論考を賞賛する人々は、その意味するところを理解している」というロジックに基づくものだ。しかしぼくに言わせれば、ろくに理解できないものをありがたがる人は世間にいくらでもいる。そこでぼくは、性病さんへ次のように反論した。

じゃあその引用箇所の意味を教えてください。この人自身も含めてですが、千葉さんを擁護する人たちは、千葉さんの文章はクリアでわかりやすいとかいうだけで、その意味を一切解説してくれないんですけど、なぜでしょうね。

 すると性病さんから、驚くべき答えが返ってきた。

ここでいう「ある部分の引用」がどういう意味かを教えてください、というのがしんかい氏の問いだが、私は特に答える気はない。身体論について体系的にものを読んだこともないから「実感」を伴った答えができない、というのは一つの理由だが、それだけではなく、最初に述べたように、私の「アンチ・アンチ・アンチ・エビデンス論」は千葉の主張について論じるのが目的ではなくて、それを批判するしんかい氏の論考も同じような誤謬に陥っているではないかという指摘がしたかっただけのことで、特にそれ以上、世の中に何一つ付け加えようとは思わなかったからだ。

 つまり、性病さんも「わからない」んだそうである。ええっ、ちょっと待ってくださいよ。

 性病さんは、「しんかいは千葉さんのアンチ・エビデンス論を批判するけど、お前の主張にもエビデンスないやんけ」ということを言いたかったのだそうである。では、彼はそれに成功しているだろうか。

 便宜上、例の、千葉から引用した身体=資料体うんぬんの部分を「文A」と呼ぶことにする。ぼくが「文Aは誰が見ても意味がわからないだろ」というと、性病さんは「意味がわからないというのはあなたの主観だ。根拠がない」と主張した。ぼくが「じゃあ文Aの意味を教えてよ」というと、性病さんの答えは「私にも意味はわからない。しかし、文Aを理解できる誰かがこの世にはいるかもしれない。よってあなたの主張には、やはり根拠がない」。

 ぼくの、「文Aは誰が見ても意味がわからない」という主張には、反証可能性がある。誰かが文Aの意味を明瞭に説明すれば、ぼくの主張は崩壊してしまうからだ。たいして、「文Aの意味を理解できる誰かがいるかもしれない」という性病さんの意見には、反証可能性がない。全人類にアンケートをとりでもしない限り、文Aを理解する能力をもつ誰かがこの世にいる可能性は、つねにあるからだ。

 一般的には、反証可能性のない主張は、根拠のないものとみなされている。たとえば「木星と土星のあいだを黄金の壺が浮遊している」という説があるとしよう。この説を否定しきるには、木星と土星のあいだをくまなく探査しなくてはならない。そんなことは現在の技術では不可能だ。しかし「黄金の壺説は、今のところ否定し切れないのだから、それなりに重んじる必要がある」と考える人はあまりいない。

 ぼくの主張には反証可能性があるので、それを批判するには、反証を挙げればよい。具体的に言えば、文Aの意味を明快に説明すればいいのだ。ところが、性病さんはそれをしない(できない)。かわりに、この世界には文Aを解読できる人がいるかもしれない、という反証可能性のない説をこちらにぶつけているだけだ。

 ぼくが千葉を批判したとき、何人もの人が千葉を擁護しようとした。性病さんもその一人である。しかし文Aのような、ぼくが猛烈に意味不明だと指摘した箇所について、その意味を説明できた人はいまだにいない。その事実自体が、ぼくの主張のエビデンスだ。

付記

ただし、アンチ・エビデンス論の冒頭部分だけは、大澤めぐみさんにより解読されている。

http://kinky12x08.hatenablog.com/entry/2015/04/25/202941

  

 


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