けものフレンズ8話で、なぜかばんちゃんは活躍しないのか

 けもフレ8話「ぺぱぷらいぶ」、ぼくは初見のとき「今回はいまいちだな……」と感じた。ペパプのペンギンたちはあまりに人間的すぎるようにみえるし、かばんもたいして活躍しない。けものフレンズ本来の面白さをみうしなってるんじゃないの?なんて考えていたのだ。ところが見直しているうちに完全に感想が変わった。この回はすごい。どうすごいかを説明しよう。

 8話の最重要ポイントは、「プリンセスはなぜ、自分が先代・先々代のペンギンアイドルにはいなかったロイヤルペンギンであることを気にかけているのか」だ。ここが理解できないと、プリンセスがどうでもいいことでへそを曲げているようにしかみえない。よってプリンセスの復活劇にもさほど関心をもてなくなってしまう。

 プリンセスの苦悩を理解するには、フレンズたちにとってアイドルとはなにか、ということを理解しなければならない。マーゲイはプリンセスの功績をたたえ「アイドルという概念をパークに復活させるべく、ゼロからの努力……」という。つまりアイドルは、パークでは忘れ去られた文化だった。フレンズたちはみな、アイドルを言い伝えや文書でしか知らない。誰も本物を見たことはないのだ。マーゲイでさえ図書館で調べたといっている。

 たんに忘れられていただけではない。おそらく過去のペンギンライブは人間主導で、おもに人間の観客のために行われていた。そうでなければ、図書館に文書記録が残されていたりはしないだろう。ライブ会場や設備もあきらかに人間の手によるものだ。

 ペンギンたちは、もともと人間によって行われ、そして忘れ去られた文化を、フレンズたちだけの手でおそるおそる復活させている。だからジェーンやイワビーは、マーゲイから過去のメンバーをよく継承できているといわれて喜ぶ。定型を外れるのが怖いのだ。

 自分がかつてのメンバーにはいなかったロイヤルペンギンであるという事実に、プリンセスが重圧を感じているのはそのためだ。本番直前にいじけているプリンセスのもとへやってきたかばんは「マーゲイさんの言ったとおりだ」という。このセリフから考えるに、プリンセスはこれまでに何度も自信を失ったことがあり、そのたびにおなじ場所で一人すごしていたのだろう。ふだんメンバーの前でみせる堂々とした態度は、みなのまとめ役を務めるために気を張って演じていたものでもある。ペパプの熱烈なファンであるマーゲイはプリンセスのそうした面を知っていて、かばんやサーバルに彼女の居場所を教えたわけだ。

 サーバルに無理やり会場へ連れ戻されたプリンセスの見ているまえで、メンバーのペンギンたちは彼女への思いを語る。このときコウテイが「初代を超えるなら新メンバーくらい入れないとな」という。なにげなくみえるが、このセリフは重要だ。過去の再現に囚われていたペンギンたちのまえに、「初代を超える」という新しいコンセプトがあらわれたのだから。

 コウテイの言葉は、プリンセスの存在意義を変える。文化は伝統だけでなく、改革によっても織りあげられる。プリンセスというオリジナル要素が加わることで、アイドル文化はたんなる人間の模倣を超えて、真にフレンズたちのものになったのだ。

 けものフレンズ8話は、人間主導だった文化を動物たちが自らの意志で行うという物語だった。だからこのエピソードで、ヒトであるかばんは活躍しないのだ。

 7話までのけものフレンズが、ほのぼのとした内容にもかかわらず視聴者に不穏なものを感じさせたのは、ストーリーと世界設定のあいだに亀裂が走っているからだ。

 各エピソードはヒトであるかばんの活躍を描く。ところが舞台は、ヒトの文明のはかなさやもろさを暗示する、無人の巨大廃墟なのだ。だから視聴者は、かばんの能力がいかに素晴らしいかを目にするたびに、このテーマはいつか覆されるのではないか、文明の暗黒面が純真なフレンズたちにむかって牙をむき出しにするときがくるのではないかというかすかな不安を覚え、かばんとサーバルの旅にくぎ付けになったのである。すくなくとも、ぼくはそうだ。

 しかし考えてみれば、けものフレンズの動物たちはみな、人間の文明を肯定的にとらえてくれていた。それどころか、しばしば人間文明にあこがれ、継承しようとしてもいたのである。アルパカとカフェ、ビーバーと家、博士たちと料理などなど。ここには希望があるように思える。すると動物が自力で文化を復活させる8話は、全編の転換点となるのかもしれない。

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