マガジンのカバー画像

〈書く事〉考

36
ひろい集めて筏をつくる。
運営しているクリエイター

#コラム

在宅ライターとお金、「書く」ことと「読む」こと

在宅ライターとお金、「書く」ことと「読む」こと

いわゆる「1円ライター」について フリーランスになってからというもの、月末はたいていお金のことしか考えていない。というか、お金のことしか考えられないというような生活をしている。
 生々しい数字を挙げる気はないのだけれど、会社員を辞めて育児をしながら文章を書く仕事をはじめ、さいしょにおもったのがぼく自身がただ生きているだけでかかるお金が月に10万円ほどあるということだった。国保、年金、市民税、医療生

もっとみる
私は文章を製造する工場

私は文章を製造する工場

これまで作家・ライターとして文章を書く仕事をしてくる中で、自分が執筆にどれくらい時間をかけるのかを徹底的に把握してきた。

今では必要な文章の長さが分かれば、執筆にどれくらい時間を要するかをほぼ正確に予想することもできる。

クライアントから「5000文字の記事を5記事」と言われたらいつ納品できるかを即答できるし、物語の骨組みさえ固まればいつ完成させられるかも答えられる。

私の時間あたりの作業量

もっとみる
「自由に書く」ということ

「自由に書く」ということ

先日、DANROの連載3本目が出た。

すると知人から「もっと読まれるような工夫をした方がいいんじゃないの?」という指摘があった。実はこの手の意見は初めてではなく、連載当初から何人かに言われている。

口調のニュアンスから推測する限り、たぶん否定的というよりは、なぜこんなわけの分からない書き方をしているのか、と不思議なのではないか。もっと分かりやすく、ウケのいい、バズるものを書けるのに、と買いかぶ

もっとみる

自分の文体のようなこと

何百年かたって、日本語の研究者が必ず指摘するだろうと予測できることがあります。

それは20世紀後半から21世紀初頭にかけて、日本人男性の文体が「村上春樹スタイル」になってしまったということです。

雑誌の記事や音楽評論、そして特にブログなんかはほとんど村上春樹文体一色だったりします。

よくインターネットなんかで、村上春樹調の文章を揶揄する書き込みなんかを見かけますが、僕は「村上春樹の文体の影響

もっとみる
なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち

なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち

 ライターを職業としてはじめてまだ日は浅いけれど、そのなかで痛感したことがある。それは、「WEBを主戦場とするライター」は文章そのものだけで業界を生き抜いているというひとがまずいないということだった。
 もちろん、文章のクオリティは技術だけじゃなく経験や感覚に裏付けられるところもあるけれど、ぼくが言いたいのはそういうことじゃない。書き手を効果的にキャラクター化するプロモーション力とか、そういう文章

もっとみる