のびのび生きるための復業推進と教科教育からの脱却

のびのび生きるための流動性の高い生き方が、復業推進によって実現するかもしれません。一方で、教科教育からの脱却が、その実現に貢献するのかもしれません。

自在に動き回り続ける

先に「アドレスホッピングと織田信長」という投稿で、居心地の悪いところから身軽に抜け出し、心地よい場所へ移動していくことについて触れました。

かつて、友人の臨床心理士と、そのゼミ生らとともに、キャリアカウンセリングで用いられるツールを体験したことがあります。詳細は省きますが、その結果、僕自身が仕事に対して重視する要素を3つに集約した結果、次の言葉が出てきました。

  • のびのび

  • 発見

  • ありがとう

「のびのび」が意味するものは、自分で思い描いたこと、やってみたいことを、存分にやることができる環境です。

「発見」が意味するものは、イノベーションなどの社会革新に興味を持って取り組んでいますが、その根幹は、発明ではなく発見だと考えているところ。

「ありがとう」が意味するものは、人に喜んでもらうことが好きで、やっぱりその対価としてありがとうと言ってもらえることが何よりの喜びであること。

この3つが満たせる状況に自分を置くことが、自分の心地よさにとって、とても大切だと言語化することができました。

自分がいまいる場所にしがみつくのではなく、その状況が満たせる場所に移動する、もしくは変えていくことがとても大切だと意識して行動するようになりました。

どんなに居心地がよいと思える場所でも、変化がなければ発見もなく、のびのびやっていれば自分も変化します。

「世界を変える」と「世界が変わる」

環境が変化すれば、新たな発見があります。環境を変化させる活動は、「世界を変える」活動だと思います。自分の外側に対する働きかけです。

自分が変化しても、新たな発見があります。同じものを見ても、異なる見方ができるからです。これは、自分が変わることで「世界が変わる」つまり世界が変わって見える、ということだと思います。こちらは、自分の内側に対する働きかけです。

この両面の変化を続けることで、世界は常に移り変わり、新たな発見と、その発見から得られた知見に基づく活動をのびのび実施し続けることができるはず。と、そう信じて、日々を過ごしています。言うほどすんなりできているわけではなく、日々もがきながら挑戦しているというのが実情ですが、楽しくはやれています。

渡り歩くためのスキル

フリーランスや復業を選ぶ人が増えている中で、そうした働き方を支えるための仕組みづくが活発化してきています。

変化を起こすことは、なにも今いる場所そのものを改変することだけではなく、場所を変えてしまうという方法が何よりも手っ取り早い方法です。

そのためには、フリーランスや復業という働き方は、とても適しています。

居心地悪いな、と思ったら、すすすと身を引く。それだけでよいのです。別の居場所を持っていれば、立ち位置の比重を変える、関係性の距離感を調整するだけですみます。きっぱりと縁を切るというのは、なかなかストレスがかかることですし、不安もあるでしょう。

転職というのは、これに近い感覚かもしれません。最近は、副業/復業もやりやすくなりました。こうしたパラレルな働き方は、渡り歩く環境づくりにはもってこいだと思います。

ただ、こうした渡り歩く環境に身をおくには、そうした状態自体を肯定的に受け入れる姿勢が大切になってきます。

学校学年クラス班

義務教育の時代から、僕たちは、学校に属し、学年に属し、クラスに属し、班に属してきました。自分で決めたわけではない枠組みに放り込まれ、その中でうまくやっていくことを長い時間をかけて育んできました。協調と同調のスキルを磨き上げてきたと言えるかもしれません。

ここ数年、学芸大学やOECDの教育政策委員会のメンバーの方々などと議論する機会があるのですが、こうした枠組みへの再考について積極的な意見交換ができること自体に、驚きを覚えるとともに、変化を起こすことへの可能性に期待が高まっています。

流動性が高まることで生きやすくなる。小さな世界に閉じ込めるのではなく、広がる世界を体験すること自体が重要であるということ。

子どもの頃に、学校の中のルールを変えること自体できずにあきらめてきた体験を持っている人、そのルールを守ることを是としてきた人に、社会のルールを変える働き方を求めても、難しいものがあります。そもそもルールを変えること自体を諦めてしまっているかもしれません。政治への興味の低さがここに起因するのではないか、という議論自体、教育現場でも起きているほどです。

教科教育からの脱却

国語算数理科社会という教科ごとの学習からの脱却も検討されています。興味ある対象を軸に、そこから広がる世界への導きです。

数学や物理として学ぶのではなく、サッカーが好きなこどもに、自分の体とボールとの間の運動エネルギーの伝達という形での学びを広げていく、というようなものです。どの角度で、どのように蹴ると、ボールがどう回転し、空気抵抗の中で、どのような弾道になるのか、という。

こうした学びの形は、実は、コミュニティを渡り歩く流動性の高い生き方をする上でも、大切な姿勢だと思うのです。

自分が扱うマテリアルについての専門性だけではなく、その背後に広がる本質について、抽象化した知の体系を自分なりに練り上げていく方法を身につけることにつながるからです。

関わり方を描く

その先に、自分なりに、自分と社会との関わり方を描いていくことができるようになるのではないでしょうか。

自分と周囲との関係性を、自分なりに描くことができるようになる学びを体験すること。それこそが、流動性の高い生き方を後押ししてくれる、大きな経験ではないかと思うのです。


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